後漢

北海孫氏

『後漢書』郎顗伝 (原文)郎顗字雅光,北海安丘人也。(…)同縣孫禮者,積惡兇暴,好遊俠,與其同里人常慕顗名德,欲與親善。顗不顧,以此結怨,遂為禮所殺。 (訳文)郎顗は字を雅光といい、北海の安丘の人である。(…)同県の孫礼は悪事を積みかさねた乱…

好姓

『古今図書集成』氏族典に好姓の記載がある。 好姓部列傳 後漢 好因 按《後漢書・种暠傳》:暠子拂為宛令。時南陽郡吏好因休沐,游戲市里,為百姓所患。拂出逢之,必下車公謁,以愧其心,自是莫敢出者。 これは「南陽の郡吏の好因は…」ではなくて、「南陽の…

王霸伝1

光武二十八将の一人。まずは王郎を斬るところまで。 王霸字元伯,潁川潁陽人也.世好文法,[一]父為郡決曹掾,[二]霸亦少為獄吏.常慷慨不樂吏職,其父奇之.遣西學長安.漢兵起,光武過潁陽,霸率賓客上謁,曰:「將軍興義兵,竊不自知量,貪慕威德,願充行…

光武帝が惚れこんだ美男子ぶり

みんな大好き美男子だよー。 『後漢書』独行列伝陵續字智初,會稽吳人也。世為族姓。祖父閎,字子春,建武中為尚書令。美姿貌,喜著越布單衣,光武見而好之,自是常敕會稽郡獻越布。陸続は字を智初といい、会稽の呉のひとである。代々にわたる名族であった。…

黎陽謁者

『後漢書』百官志に引く応劭『漢官儀』 (原文)監察黎陽謁者,世祖以幽、并州兵騎定天下,故於黎陽立營,以謁者監之,兵騎千人,復除甚重.謁者任輕,多放情態,順帝改用公解府掾有清名威重者,遷超牧守焉. (訳文)監察黎陽謁者とは、世祖が幽州・幷州の…

関羽は徐州刺史

『三国志』関羽伝の注に引く『魏書』 羽を以て徐州を領せしむ。 用例から見れば、「領○○州」とあれば「○○州の刺史に任じた」という意味だと分かる。このとき劉備は予州牧であったので、自身は予州の小沛に駐屯して曹操の攻撃に備えていた。代わって、関羽が…

献帝推戴はとっさの思いつき

曹操が献帝を推戴したのはとっさの思いつき。 もともと曹操は、袁紹のもとにいた。袁紹は後漢の光武帝の戦略をつよく意識していて、だからこそ都落ちしたとき河北へ行ったのだろうが、最初は自分が帝位につくつもりはなく、劉虞を帝位につけて、自分はちょう…

張亮則

出典は『華陽国志』。 張亮則は字を元脩といい、漢中郡の南鄭の人で、陳泰の従弟である。牂牁太守となり、威厳は南方で明らかであった。永昌、越巂の少数民族は叛逆を計画していたが、張亮則を畏怖していたので、(張亮則が)その郡へ任地替えになると、互い…

大将軍

『三国志』于禁伝 及太祖領兗州,禁與其黨俱詣為都伯,屬將軍王朗.朗異之,薦禁才任大將軍. 『三国志』王平伝注 華陽國志曰:後張翼﹑廖化並為大將軍,時人語曰:「前有王﹑句,後有張﹑廖.」 『三国志』袁術伝 以張勳﹑橋蕤等為大將軍. 『華陽国志』 南…

都督従事と督軍従事

後漢から三国にかけて都督従事、督軍従事という役職が見える。他の時代には見られないし、職官志などにも記載のない実態不明の役職だ。二十四史に見えるすべての記述を抜きだしてみた。 『三国志』武帝紀注 典略曰:遂字文約,始與同郡邊章俱著名西州.章為…

宜禄と秦誼と秦宜禄

『宋書』百官志に丞相府の門の開閉をつかさどる宜禄という漢代の蒼頭があったと見える。 宜禄と字す蒼頭あり。漢に至り、丞相府のつねに関白するところあれば、閤に到りてしきりに「宜禄」と伝呼す。これをもって常となす。 『後漢書』董卓伝の注に秦誼とい…

騎兵の戦闘方法

むかし2chで書いたのを転載。要旨は、 騎兵のメインウェポンは弓 騎兵は鞍や鐙に体重を預けない 130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 13:46:18 id:kJffZdRP0 騎射しない騎馬突撃って意味あるのか?騎兵は普通騎射するもんだと思う。 133 :名…

五斗米道

米って、コメじゃないと思うよ。

王脩は孔融のために泣いたか

袁譚のさらし首を見た王脩は大泣きしながら曹操に懇願します。 「袁譚様の遺体を埋葬させて下さい」 本来ならばこのような行為は、死罪に匹敵するほどの重罪。 曹操が黙っていると、 「私は袁家の御恩を受けております。もし願いを聞き入れて下さるならば、 …

袁譚と孔融の抗争と劉備

もともと劉備は平原相だったが、徐州刺史の陶謙に求められて北海相の孔融を介して徐州に入り、兖州牧の曹操を防いでいる。陶謙の没後、劉備は徐州刺史となり、孔融を青州刺史に推挙している。また袁譚を孝廉に推挙してもいる。その袁譚は孔融を攻撃している…

孔融 左丞祖を殺す

『三国志』と裴注だけ読んでると孔融がバカっぽく書かれている。 『三国志』崔琰伝注 【原文】續漢書曰:左丞祖﹑劉義遜清雋之士,備在坐席而已,言此民望,不可失也.丞祖勸融自託彊國,融不聽而殺之.. 【訳文】『続漢書』に言う。左丞祖、劉義遜は清廉俊…

袁譚はそのときどこにいたか

以下の見解に対する疑義。 http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1211016220/348 348 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/07(月) 21:11:37 >>347 この当時の権力闘争は権力中枢から地理的に遠ざかった時点で負けなんだよ。 袁譚は周知の通り青州に出…

董昭

魏公の建議以外でも『後漢書』に出ていた。 『後漢書』賈琮伝 【原文】時黃巾新破,兵凶之後,郡縣重斂,因緣生姦.詔書沙汰刺史﹑二千石,更選清能吏,乃以琮為冀州刺史.舊典,傳車驂駕,垂赤帷裳,迎於州界.及琮之部,升車言曰:「刺史當遠視廣聽,糾察…

孔融と黄巾賊

孔融が黄巾賊の来襲に為すすべなく手をこまぬいていたかのように言う人をよく見かけるので、『後漢書』本伝から引用しておこう。 『後漢書』孔融伝 (原文)後辟司空掾,拜中軍候.在職三日,遷虎賁中郎將.會董卓廢立,融每因對荅,輒有匡正之言.以忤卓旨…

光武帝と雉

『古小説鉤沈』に引く『列異伝』 秦の穆公の時代、陳倉の住民が地面を掘って、異様な生き物を見つけた。その形は猪にも似ていないし、羊にも似ていない。人びとは名前がよく分からなかった。 穆公に献上しようと引っぱって(行くうちに)、途中で二人の子ど…

昌務?

ここで漢末の彭城王劉和のことに言及したんですが、この伝に出てくる賊の昌務って、昌豨のことだよね?字が似てるので、たぶんそうだ。東海の三公山を根拠地とした昌豨は、彭城にも勢力を伸長していたということ。琅邪に臧霸あり、東海に昌豨あり、下邳に闕…

曹鼎は2人いた?

じつに興味ぶかい。

曹氏の系譜

曹操以前の世代が故意にぼかされてる気がする。

曹純の年齢がおかしい

『水経注』が曹騰やその一族の碑に言及していることはよく知られている。

曹仁の軍師 張詹

曹仁が征南将軍を務めて荊州に駐屯していたころの軍師。

彭城相の徐庶

徐庶は彭城相を務めていたことがある。

汝南袁氏の系譜

こっちもややこしいと思ってたので系図にまとめてみたら、意外にそうでもなかった。

朱儁と陶謙

董卓の乱では、意外に見落としがちな朱儁周辺の動きについて。

扶楽袁氏の系譜

とてもややこしいので系図にまとめてみた。

袁術と『後漢紀』

『三国志』や『後漢書』には書かれてないことでも、『後漢紀』にはあるのです。