孔子が人肉を食った?

去年あたりから、孔子が人肉を食ったというデマがネット上に広がっている。ちょっと検索してみたところ、どうも『孔子家語』に記されるエピソードがその根拠らしい。

孔子家語』
(原文)子路與子羔仕於衛,衛有蒯聵之難.孔子在魯,聞之曰:「柴也其來,由也死矣.」既而衛使至,曰:「子路死焉.」夫子哭之於中庭,有人弔者,而夫子拜之,已哭,進使者而問故,使者曰:「醢之矣.」遂令左右皆覆醢,曰:「吾何忍食此.」
(訳文)子路と子羔は衛の国に仕官した。衛の国で蒯聵(南子かな?)が反乱を起こすと、孔子は魯の国でそれを聞き、「柴(子羔)は帰ってきて、由(子路)は死んでしまうだろう」と言った。衛国の使者がやってきて「子路が死にました」と伝えた。孔子は中庭で哭(な)いた。弔問客が来たので、孔子は挨拶して哭くのをやめた。衛国の使者を座敷に上げて死因を訊ねると、使者は「塩漬けにされたのです」と答えた。そこで左右の者たちに命じて塩漬けを全部捨ててしまい、「わたしにはこれは食べられない」と言った。

この話が、どこをどう間違ったのか「孔子が捨てたのは人肉の塩漬けだった」とか「孔子子路を塩漬けにして食った」とか、あさっての方向に誤読されていった模様。

現代の日本人として普通に読めば、塩漬けを見ると子路を思い出してしまうので食べられなかった、ということだろう。

ただ、古代中国の話だから言霊思想的な文脈から読まれるべきかも知れない。

『文選注』
(原文)孔子至於勝母,暮矣而不宿;過於盗泉,渇矣而不飲.悪其名也.
(訳文)孔子は勝母という場所に来たとき、日が暮れてもそこで宿泊せず、盗泉という場所を通るとき、喉が渇いてもそれを飲まなかった。名前を嫌ったのである。

孔子が『盗』という名前の泉の水を飲んだ」(孔子飲盗泉)と文字に書くと、「孔子が盗んできた泉の水を飲んだ」(孔子飲盗泉)とも読めてしまう。それが文字に残されたり、人々の話題になるのを事前に防いだということだ。

盗泉のエピソードを知っている人なら、塩漬けのエピソードを聞いても孔子が人肉を食っていたなどとは解釈できないだろう。逆にいえば、孔子が人肉を食ったと主張している人は、中国の古典をろくに読んでいないという証拠である。