夏侯淵の行軍

夏侯淵の行軍速度を主張するとき、よく「三日で五百里、六日で千里」と歌われたことが引き合いに出されるけど、私はこれに全く納得しない。
だって、当時の平均的な行軍速度が分からないんだから、三日で五百里と言われてもどれだけ速いのか全然分からないじゃん。地域や時代によって装備や道路の状態が違うんだから、ヨーロッパとの比較もできないし、同時代でも険しい道も平坦な道もあって行軍速度が違ったはずなんだよね。だから、「三日で五百里夏侯淵速えーっ!」とか全然言えないわけ。もしかしたら大して速くないのかも知れない。

むしろ、行軍日数と行軍距離が比例していること、つまり行軍距離に関わらず行軍速度が一定であることに注目すべき。最初の三日で夏侯淵が五百里を進軍したとき、補給部隊は三日分の食糧を五百里だけ運べばいい。でも、つづく三日で夏侯淵が五百里を進軍しちゃったら、補給部隊はその三日分の食糧を合わせて千里も運ばなきゃならない。そんなのはっきり言って無理です。つまり、夏侯淵は補給の問題を全く度外視して強行軍してる。

夏侯淵は袁氏や馬超との戦いで輸送を担当していたから、そういう行軍が無茶であることが分からなかったとは思えない。それなのに無茶な行軍をした。とくに韓遂を征討したときなんか、敵から食糧を奪うことを当てにしているように見える。こうしたやり方はうまく運ぶときは問題ないけど、ちょっとしたつまづきで全軍を破滅させかねないんじゃないかな。戦いに勝つためには博打が必要になることもあるけど、彼の場合、賭ける価値もないのに大博打をやってるように見えるんだよね。