「知」といふこと その2

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【山際のページ】「知」といふこと
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「知」といふこと

 職業柄、『三國志』にまつはる書物は、一通り目を通す。必ずしも全部購入するわけではないが、知らないうちに、いろいろと身の回りにたまつてきた。さうした書物の中には、時として、驚くやうなことが書かれてゐるものもある。

 『関羽伝』(新潮選書)なる書物がある。著者は新聞畑の人で、現在は某大學の繁官。中國に關する本をいくつか出してゐる。

 この『関羽伝』といふのは、『三國志』と『三國演義』とをからめながら、歴史上の人物である關羽が、いかにして神格化されて關帝になつたのか、といふことをあとづけようとした本なのだが、その中で、『三國演義』に登場する美女、貂蟬のことを、次のやうに書いている。

三国演義では、王允家の歌姫・貂蝉が主人の意を受けて、義理の父子をたぶらかしつつ事を運ぶという陰謀と色模様が進行する。年は二十八、まさに女盛りの貂蝉呂布と結婚の約束をしながら、董卓の女になる。これが王允の立てた「連環の計」で、ついには嫉妬に狂った呂布董卓を殺す、という展開である。

 困りましたね。假にも大學の先生で、中國の專門家のやうな顏をしてゐる人が、こんなことを書いちや困る。

 何が困るかといふと、貂蟬の年齡のこと。

 『三國演義』第八回、貂蟬が初めて登場する箇所には、「年方二八」(年齡はちやうど二八)と書かれている。その後まもなく、董卓が貂蟬を見そめる場面にも、「青春幾何」「賤妾年方二八」(「年はいくつかな」「わたくしめ、ちやうど二八でございます」)といふ會話がある。この先生、これを見て、貂蟬の年齡を二十八歲だと思つたわけだ。

 念のため、正解を先に申しておきますと、「二八」といふのは二かける八、つまり十六歳のこと。必ずしもぴつたり生後十六年、といふ意味ではなく、女性の妙齡を指す言葉です。決して二十八ぢやない。

 それを「年は二十八、まさに女盛りの貂蟬」なんて書いちやつた。しかも、編輯者までそれに氣づかずに、そのまま校了して出版してしまつた。以て、本邦の出版文化の程度の低さを知ることができますな。

 わたしは、この著者の無知をとがめようとする者ではない。ただ、書物を出版して自己の見解を江湖に問はうといふ、知的作業に從事する人として、あまりにもものの見方がお粗末ではないか、と言ひたいのである。以下、そのこころを述べてゆかう。

 現代の日本人は、漢數字も算用數字と同樣に扱ふことに慣れてしまつて、十や百といつた桁を表す文字を省いて表記することが多い。ひどいのになると、國語の教科書で、古典を扱つてゐるといふのに、「伊勢物語第二三段」などと表記してゐるものすらある。本來、漢數字は位取りを省いてしまつては意味をなさないもので、中國の本を見ると、手間を惜しまずに「一千九百九十九」などと書かれてゐる。それが當然なのである。

 この本の著者だつて、關羽のことを書いてゐるのだから、『三國志』や『三國演義』を見ないわけではあるまい。『三國志』なら「卷二十八、魏書二十八」であつて、決して「卷二八」ではない。『三國演義』なら「第二十八回、斬蔡陽兄弟釋疑、會古城主臣聚義」であつて、これまた決して「第二八回」とは書かない。

 多分、この著者は、普段から自分が二八を28と讀み、28を二八と書いてゐるものだから、五百年ばかり前の中國の古典を讀むのに、無意識にその癖を援用してしまつたのだらう。別の言ひ方をすれば、現在、自分がゐるのとは違ふ時代、違ふ土地で書かれたものを讀むのに、自分の目でしか見られてゐないわけだ。

 もちろん、わたしだつて、西暦1999年のことは、一九九九年と書く。現代日本では、それが慣例となつてゐるから。しかしその慣例を古典にまで及ぼして、「二八」を「二十八」と讀み違へてしまうのは、無知なのではなく、あまりにも神經が粗雜なのだと申し上げざるを得ない。

 それから、「年は二十八、まさに女盛り」といふ表現。

 身の回りを見渡せば、三十になつても四十になつても、いやいつそ五十を越えても、まだまだ少女時代の面影を殘した、若々しい女性はたくさんいらつしやる。二十八歳なら、ほんたうに若々しく美しい時期だと申し上げて間違ひあるまい。ならば、「二八」を「28」と讀み間違へた以上、貂蟬を女盛りだと表現するのに、なんの不思議もないといふことになる。

 しかし、本當にさうですかね。

 いくつになつても女性が若々しいのは、現代日本の話である。後漢の末、いや、そんなにさかのぼらなくても、『三國演義』が書かれた時代、つまり今から五百年ほど前の明代中期、結婚年齡が早く、したがつて初產の年齡も早く、そのうへ一人の女性がたくさんの子を產むのが當然だつた時代にも、やはりさうであつたのか。絕對にそんなことはあり得ない。おほざつぱに言つて、二十歳をすぎればもう年筯、三十近くなると、すでに老境に近いと言つていい。

 それなのに「まさに女盛り」だなんて。ここでもまた、『関羽伝』の著者は、自己の常識のみを以て古典を扱ふといふ、無神經をやらかしてゐることになる。

 しかも、「二八」が十六歳の意であるなんてことは、專門知識ぢやない。そこらの辭書を引けば、簡單に知れることである。なにも『日本国語大辞典』ぢやなくてもいい。『広辞苑』だつて充分です。おつと、ここで大急ぎで言ひ足しておきますが、べつに『広辞苑』よりも『日本国語大辞典』の方が高級だと言つてゐるのではありませんよ。どちらも當てにならないといふ點では、まあ五十歩百歩でせう。ただ、辭書を引くといふ、知的作業の第一歩すら、この著者は怠つてゐる、といふことを言ひたいのだ。

 「二八」といふ文字を見たとき、これはどういふ意味だらうと考へてゐない。疑問を抱かないから辭書すら引かない。別の言ひ方をすれば、自分が無知であり間違ひをしでかす可能性があることに恐れを抱いてゐない。自分の無知に恐れを抱かない人は、もうそれ以上進歩することができない。そんな人が、知識人のやうな顏をして本を書き、出版してゐる。さきにお粗末と言つたのはさういふ意味である。

 人間、間違ひを犯すことを完全には免れ得ない。だからこそ、假にも自己の見解を廣く世間に問はうといふほどの人間は、常に、自分が間違ひを犯す可能性を恐れ、少しでもその可能性を減らすべく、どんな小さな點にも氣を配らなくてはならないはずだ。

 この著者とは限らない。また、本の出版とも限らない。新聞への投書、ウエブサイトの記載、BBSへの發言……。「知」といふことをなめた、あまりにも粗雜な言葉の氾濫に、日本の繁育に從事する者として、いささか暗然たる氣持ちにならざるを得ないのである。

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