美しい物語

実務家による現場リポートがweb論壇にとって貴重な財宝であることは疑いを差しはさむ余地がない。しかし、それを受けとる側の器量もまた試されているように思える。


わたしは外国人支援の現場を見ていないので、実務家たるid:isikeriasobiさんの報告に疑いを差しはさむ余地なんか最初からなくて、たぶん実際それは信頼に値すると思うんだけど、isikeriasobiさんが「反日上等は依頼人の立場を悪くする」というのは新聞報道などで仄聞したことからだけでも、おそらくその通りだろうなと想像が付くというものだ。外国人支援の戦いは最初から勝てないことが決まっていて、せいぜい勝てないまでも負けないくらいにしかできなくて、行政のさじ加減ひとつでどうにでも状況は転がりうる。依頼人の勤務先の上司の友だちが暴力団関係者の昔の仲間だったとか、支援者の所属する同僚が別の団体で参加してるデモ行動で他の参加者が何か器物損壊事故を起こしたとか、その手のしょーもないくっだらない本当にささいなことに難癖付けられて申請を却下されたりなんてことは、いかにも恣意の野放図な行政の現場にありそうな光景なので、現場の実務家として一員が「反日上等」をかかげる団体とは関係を持ちたくないというのはかなりの説得力をもって理解できるわけなのだ。行政が異常にセンシティブなので対抗者もセンシティブに振るまわざるをえない。我々はそのことについて現場をしらないのだから文句を言える筋合いではない。isikeriasobiさんは現場のことについてweb論壇では特権的な地位にある。しかし現場の問題を抜きにすれば、そこに特権性はなく、せいぜい我々と対等の立場に過ぎないわけで、だから現場の実務家としてではなくweb論壇の論者と位置づけてその立ち居振るまいを問題にしたいなと*1


ここで問題にしているのは、かれの発言内容ではなくって、ひとりの論者としてのスタンスだ。ていうか中身の問題に過ぎないんだったら、それこそリング上でルールに従って丁々発止やってればいいだけの話で、いちいち目くじらを立てるようなものでもない。しかしリングの外側でなんやかやするってのはルール違反だろうと言わざるをえない。


最初に不快感を持ったのは、かれが自分のブログから過去のエントリを削除してweb上での政治的発言は辞めると宣言したことで、これはひどくアンフェアだと感じざるをえなかった。かれがそのようにするならば、いったいどこにかれを批判できるものがいるだろうか? 批判などできるものではないのだ。かれは英霊の座にましましている。かれの意図を詮索するつもりはもとよりないが、その宣言は実質的にかれの見解に対する批判をシャットアウトする現実上の効果を持っている。かれはそのことに気付かなかったのだろうか? わたしにはとうていそのようには考えられなかった。「反日上等」に対してあれだけセンシティブであった、かれが、こちらのことに対してここまでナイーブであるということは、はたしてありうることなのか。おそらくそれは無茶な想定であろう。


かれのweb上における振るまいは相当にガサツである。現場の実務家として「反日上等」を恐れる小心さとはまるで裏腹に、web論壇の論者としては「反日上等」批判を展開したかと思えば、ある日唐突に過去の発言をすべて抹消したり、はてなのアカウントを削除したりと、かなりエキセントリックな振るまいを見せつけてくれる。とても繊細、慎重さからくる行動とは見えない。自分のweb上での発言が現場に悪影響を与えうると本当に考えるならば、なぜ最初から発言を慎まなかったのか。あの慎重なisikeriasobiさんとこちらのガサツなisikeriasobiさんははたして本当に同一人物なのであろうか? ガサツな人間はその一方で慎重に振るまうことはできない。しかし慎重な人間が一方でガサツな行動をすることはできる。このガサツさにはおそらく背景に何らかの計算があるように思える。むしろ、そこに計算がない、かれは純粋率直に本音を語っているのだと信じるとすれば、その方がかえって失礼だろう。リアリズム基底の実務家をナメんな、という話である。


かれが意識的にその行動を選択しているかどうかまでは分からないが、無意識の計算はある。かれは論壇に主張を持ちこみ、議論を巻きおこし、大声でなにごとかを主張したかと思えば、一転して引っこめたり、一方の極からまるで正反対の極に突きすすむような、そんな迷走ぶりを見せているにもかかわらず、どちらへ転んでもだれからも批判されることはなく、みなに尊敬され、感謝され、惜しまれつつ、論壇を立ちさろうとしている。あれだけ粗雑にも見える大胆な行動をとりながら、どこにも敵を作らないということが、かれの損失につながることは一切しないということが、可能なのであろうか。かれは何も失っていない。かれの行動のすべて、それに対する我々の反応すべての結末が、かれの利益として結実している。少なくとも損失にはなっていない。はなはだ、クレバーだね。


かれがwebからの撤退を宣言したとき、だれしもが残念がった。「せいせいする」などと言うものも「isikeriasobiはweb進出に失敗した」などと言うものもなかった。だれもが、みな、かれを敬愛していた。かれが去ることでweb上からなにものかが失われることを、心底、惜しんだ。お馬にまたがりぽっこぽっこと町を立ちさるかれの後ろすがたに、町の衆がみなで愛惜の声をかける。


「とても残念です!」
「ありがとうございました!」
「おつかれさまでした!」
「シェーン、カムバァァック!」


いやはやなんとも哀しくも美しい光景。涙なくしては聞きえぬ素敵な物語。全米が泣いた感動のラストシーン。だれだ、こんな素晴らしい脚本を書いたのは? それは主演・脚本・監督・制作・配給・興行主を兼ねたisikeriasobi先生にほかならない。脇役兼観客が涙をこぼすそのかげで、興行主はさぞかしほくそ笑んでることだろう。映画は大ヒットだ。映画史上にのこる名作だ。じつに晴れがましい光景ではあるまいか。


実のところ、わたしもisikeriasobi先生の現場の仕事はもとより、web上での振るまいを咎めだてするのは今回の主眼としていない。わたしを苛立たせるのはむしろ、このような茶番に大人しく付きあってる観客の情けなさのほうなのだ。だれひとりとして、いいですか、これはレトリックでもなんでもなく、本当に、文字どおり、だれひとりとして一介の論者をだれもが賛美し陶酔する異様なムードに違和感を表明するものがない、という状況。わたしはその状況の貧しさにこそ恐怖を感ずる。おいおい、英霊に感謝を捧げるやつばかりかよ。一人くらい冷やかしたり茶化したりするやつがいてもいいだろう?


神聖にして冒すべからじ賢きところにあらせられるisikriasobiさまは必然的に過剰に美化される。一点の曇りさえ許されない。かれは寝る間を惜しんで身銭を切って弱者を救済せんとする聖者である。債務処理、債権回収、土地転がしで口糊することは見逃され、そこではなかったことになっている。かれが自分を偽善者であると主張するときは、自己批判のできる謙虚な人物であると評価される。かれはリアリストであることをもって、リアルに基づいた評価を免れるという倒錯的な資格をもっている。だれも、そのことがおかしいとは思わない。思っていても言わない。もし言ってしまったら、村びとに石を投げつけられるだけだろう。言わぬが花である。あえて言うものがあれば、そいつは空気の読めないただのバカだ。web論壇の論者はその点において実に賢明であり、陛下の崩御を心の底から悲しんでいるような顔をし、世間にあまねし哀悼愛惜の気分に水を差さないように心がけているのだ。本当に素晴らしいね。天皇陛下万歳


わたしがこんなことを言っても、単なるアホの戯れ言、だれも聞きゃーしないっつの。2ちゃんねるあたりでは、わたしとisikeriasobiさんが対立関係にあると信じてるアホ向きすらあるんだから。もしも、たとえばid:seijigakutoさんなどがこれはちょっと違うんじゃないか、と言ってたら事態はだいぶ違っていたんじゃないかと夢想する。が、そんなことは所詮、夢想に過ぎないのだから言っても仕方がない。おい、おまえら、集団ヒステリーにかかってるぞ! とか言わない。ハーメルンの笛吹きに踊らされてるぞ! とか言わない。たぶん言ってもムダなので。isikeriasobi先生は聖者でなくてはならない人だから。


あー、あほくさ。ぷっぷくぷー。

ブコメ対応

b:id:tari-G web論壇(笑) すごいなー。こういうわかりやすい思考って常に存在するんだねぇ。しかし石蹴り氏への反発があれだけあったのに「だれひとりとして」ってのもすごいな(笑) てかweb論壇て…ひぃ〜(笑)/あ確かに近年多い相対化マニアね 2009/07/03

tari-Gさんのおっしゃる「反発」ってのは、わたしの文脈でいうものと同じものでしょうか? 念のため言っておきますが「反日上等」論議にかかわる反論はここに相当しないですよ。わたしが言っているのは議論の外側におけるisikeriasobiさんの言動についてです。リング上の議論は充分に尽くせばいいじゃないですか。しかしリングの外側で政治的に勝っちゃうのは、ちょっといけすかない感じですね。

web論壇という言いまわしにおかしみを感じられるのは結構ですが、なにか他にうまい表現がありましたらご提案ください。

b:id:nagaichi レトリック mujinさんの違和感の正体>火事と喧嘩ははてなの華よ。誰からも批判されないメタ「リアル」な存在などあってはならない。相対化しろー!偶像を許すなー!引きずり下ろせー!えいえいおー!ということですね。w 2009/07/03

まあ基本的にそういうことなんですが、やはり念を押しておきますけど、批判されるべきは「反日上等」論議といったリング上の議論ではなく、リングの外側で政治的に勝ちに行くスタンスだと思うんですよ。

b:id:seijigakuto 議論, 外国人 IDコールがされていたので、コメントしました。/ 参考として、議論の際の私的な注意点など http://h.hatena.ne.jp/seijigakuto/9236550815951990491 2009/07/03

コメントありがとうございました。

b:id:standout 「計算があるように思える」>どういう計算?どんな利益になるの?/「だれひとりとして」>反発してる人けっこういると思いますが。 2009/07/03

どんな利益になるか…、かれがどのような効果を狙ってやっているかは実際よく分かりません。おそらくisikeriasobi先生じしんもあんまりよく分かってないんじゃないかなという気がしなくもないです。しかし外国人支援の実務家として見せるセンシティブな態度と、はてなにおけるナイーブな言動にはあまりに相違がありすぎやしませんか。もし、その点に少しでも思いあたる部分がありましたら、その相違の理由についてお考えいただければと思います。

b:id:morimori_68 議論 これは何を目標とするかという話である。ネット上の議論で勝つことを至上とする立場はあってよい。しかし、本当にそれでいいかどうかは議論の余地がある。 2009/07/03

isikeriasobi先生は現場において実務家として依頼人の利益を最大限に追及していたと確信できます。ただ、web論壇においてはそのような誠実さが見られなかった、そして周辺にいるわれわれもその点を批判できずにいた、というのが今回エントリの論旨になります。

要するに

これは結局、暴力の問題なのだ。

isikeriasobiさんが過去エントリを削除し、はてなアカウントを削除したことにより、かれの議論相手はかれを議論のルール上で反論することができなくなってしまった。isikeriasobiさんがやっちまったのは、相手から反論のすべを奪う、反論の道を閉ざすということ。それはアンフェアだ。その一方性が暴力的だというのだ。また、見方を変えれば、相手の主張を(∩゚д゚)アーアーきこえなーいしているとも言える。

だから、かれがweb論壇を去ることは、わたしも残念だと思っている。なので、isikeriasobiさんは辞めるのをヤメテ!そして、きちんとwebのうえで応答責任を果たしてほしい。

死者に鞭打つ行為

なぜかは分からないが、日本では死者を批判してはならないことになっている。たとえ正当な理由をもって正当な手続きでなされるものであっても、死者だから、というだけで批判が封じられているのだ。

isikeriasobiさんがやってるのは、webにおける仮想人格の自殺だ。しかも、予告付き*2

かれが死んだら、もうだれもかれを批判できなくなるだろう。


殉教者扱いしてはいけない。

わたしはかれが死のうが殺されようが、そこに生きる論者として扱う。生ある人間として尊敬するし、非があれば批判する。いまんとこ非がないので何も言わないけど、いずれそういうことがあれば批判することもあるかもしれない。

ブコメの拓

b:id:tobaccohat literacy, media, society 個別エントリーに対するコメントとスターを主な手段としたコミュニケーションが状況それ自体への言及を難しく・見えにくくさせている。 2009/07/03

そうですね。わたし自身かれとその周辺の議論に俯瞰的に目を通しているわけではなくて、状況の誤解や偏見はあると思います。が、やはりisikeriasobiさんの過去エントリ削除とアカウント削除宣言は決定的すぎました。

b:id:sionsuzukaze 閉鎖空間 何らかの計算って確認したの?俺は個人的にメールで自分の発言が迷惑になるかもしれない旨を連絡した際、返信にて彼があの反日の馬鹿論争でどんな意図があり何を得たか、を知った。彼は十歩以上先を歩んでるよ。 2009/07/03

わたしの書きかたがマズかったですが、わたしはisikeriasobiさんの内心を評価したり憶測したりするつもりはないです。だから計算うんぬんはここではとりあえず忘れてください。いま最初に考えるべきことは、かれが過去エントリとアカウントを削除することによって、議論の継続が封じられてしまった現実に横たわる事態です。このことはisikeriasobiさんの意図とはかかわりなく存在します。それは誰かの「中」ではなく、我々の「間」に位置しています。

さらにブコメ

b:id:dj19 う〜む 頭のよすぎるmujin氏が、もやもやしている模様。ここまでの経緯がよくわかんねー。 2009/07/03

すみません。実は、経緯のことではないんです。議論の主催者であるisikeriasobiさんが途中で議論をほっぽり出したのは作法に反してるよね、なのに誰もそれを指摘しないよね、と言いたいだけです。

b:id:hisamatomoki ……いしけりさんに何か聞いたの? 直接何か伺ったの? どういう状況で彼がやってるか何か知ってるの? ……その上でこれ書いたなら心底軽蔑する。 2009/07/03

聞いてないし伺ってないし何も知らないです。というのは、そういうことを問題視しているわけではないのです。しいて、かれの内面について疑問を呈するとすれば、なぜ過去エントリを削除したり、アカウントを削除したりする必要があったの?ということくらいですね。しかし結局、そういう問題ではないんです。問題はisikeriasobiさんの内面ではなく、かれと我々との「間」にあります。

過去エントリを消すことの意義

このエントリに反発を覚える人たちが均しなみにネグレクトしている問題がある。それはisikeriasobi先生が過去エントリやアカウントを削除することについての意義。


かれがweb上での議論に見切りを付けたこと自体は、まあかれなりの判断があったということなのでそれは別にいいのだけど、なぜ、わざわざその痕跡を消す必要があったのだろうか? あれがweb上に残されていれば、われわれにとって絶大に有益なリソースとして今後も参照しつづけられたはずだ。かれは自分のエントリに排外的な人物からスターが付けられることについて、自分の意見が少しでも認められた証拠なのだから歓迎する、と言っている。かれはweb上での発言に有効性を認めているのだ。ならば、過去のエントリを残しておくには充分な理由ではないか?アカウントだって、ぜんぜん削除する理由なんかないだろう。使わないなら使わないでそのままほっとけばいい。


なぜ消す必要があったの?消してどうなるの?


エントリにしてもアカウントにしてもみんなかれのものなんだから、かれがそれらをどう処理するとしてもそれはかれの自由だ。だから削除するな、とは言わないし、思いもしない。


だが、かれがエントリやアカウントを削除する意味について、その行為が社会に与える影響について、われわれは考えることができる。いっしょに考えましょう。

ところで、みなさん

数年前、渋谷区で起きた市民運動家の自殺事件ってご存じですか?


渋谷区が利用率のひくい駐車場のテコ入れとして数億円の改装をしようとしたとき、これに反対する市民運動家が抗議の自殺をするんです。そして、その自殺者の息子さんが「おやじが死んだんだから工事をやめろ」「おやじの死を無駄にする気か」と区長に詰めよる一幕がありました。


わたしは不快感を抱きましたね。駐車場にかかわる言い分はどちらが正しいのかは分かりません。しかし、人の死をもって自己主張を通そうとするやり方に、わたしはどうしても賛成ができない。死んだら正義ですか。死者の主張はなにがなんでも受け入れられるべきですか。そうではないでしょう。こんなのは幕末の志士だけで充分です。議論を踏まえた上での総員の決定を重んずる近代社会にはそぐわないですね。


isikeriasobiさんのやり方には、それを彷彿とさせるものがあります。

BUKKOME

b:id:letterdust mujinさんの「ルール」というのはウェブが週刊金曜日の投書欄みたいな場みたいで、私が感じたいしけりさんのブログはヒーローでなくテレビのドキュメンタリーだった。一人の監督が意図を持って編集・公開し打ち切る。 2009/07/03

投書欄というのはよく分かりませんが、isikeriasobiさんがかなり戦略的に行動されてることは間違いないと思います。依頼人の利益を図ることはもちろん、それ以外の場所でも自分の利益に繋がるように非常に巧みな動きをされてます。迷走しているように見えて実はそうではないです。

b:id:mujige isikeriasobi現象 というべきかな、これは。いや、ご本人がどうということより、“専門家”を盾に“現場”から自分を切り離しておいて、安全地帯から石を投げる人たちのことなんですが。 2009/07/03

そうですね。「現象」が、ご本人ではないところで起こっているのは確かだろうと思います。石を投げても投げなくても専門家を盾にするのはマズいです。いえ専門家の見解を尊重するのは大いに結構なんですが、専門家の威を借りて自分の箔付けに利用するのはちょっと…ということですね。

b:id:mae-9 社会 立場としてはわからんでもないけど、ウェブでの言論に過剰な価値を設定するのはどうかな。「ウェブ上の議論に十分なリソースを割けないなら出てくるな」とかいったら例の「バカと暇人のもの」がどんどん現実に……。 2009/07/04

「ウェブでの言論に過剰な勝ちを設定する」との意味がよく分かりませんでしたが、外国人支援の本来の仕事は優先されるべきでしょう。わたしは「ウェブ上の議論に十分なリソースを割けないなら出てくるな」とは言っていません。ただし、自分で立ちあげた議論を自分で放棄するのはみっともないし、相手の反論を封ずる暴力であろうとは思います。議論を維持できないのであれば最初から創始すべきでなかったと思います。

あと本件とは関係ないですが「バカと暇人のもの…」というのは肯んずることができません。『インターネットはからっぽの洞窟』というのは97年発行の書籍名ですが、これ以前からインターネットに疑問を呈する人はかなり多くいました。そもそも民主主義という枠組みからしてバカに政治を委ねるというものですので、今さら何を言ってんだ的なお言葉かと思います。

b:id:umeten ネット, 社会, 日本的なるもの, 政治, コミュニケーション, 文化, 身体と精神, メディアリテラシー, 批評, ここポイント なんというか、ネット上でのポジショニング=政治性に対する違和感というのは確かにある。/『現場に対する言及は全て「現場主義」批判にとどまる』という信念が透けて見えるところとか特に。ネット議論のベタ信仰? 2009/07/04

現場主義は現場主義でいいけど、わざわざ自分のブログ削除することないでしょ?っていうのはありますね。残しといて何か不都合でもあるんですかね。みんなが惜しむくらいだから有益なリソースには違いないのに、なぜ? うーん、やっぱりここが引っかかりますね。

ブコメ応答

b:id:mgkiller communication 反日上等を叫ぶ人達と「誠実な議論」を重ねる事で同類だと思われると実務に決定的な影響を受ける、という風に受け取りました。それ程に現場がセンシティブなんじゃないかと。/そこも含めてやるせないもんですな。 2009/07/04

そうなんですよね。魔女狩りの時代に拷問して死んだら無罪、死ななかったら魔女に違いないので死刑というむちゃくちゃな判定がありましたが、ちょうどisikeriasobi先生の依頼人のおかれた立場もこれとほとんど変わらないのだろうと思います。そうした状況で俎上にあげられた人はとにかく目立たないようにするしか身を守るすべがない。だから「反日上等」はありがた迷惑だというのは納得できるところです。先生は「反日上等」という理念そのものを批判しているわけではないのですね。というか実は賛同する気持ちがあっても不思議でない。しかしたといそうだとしても、isikeriasobi先生が「人質に取られている」とはまさにこのことで、依頼人の不利になる口実を与えてしまうのでそれを一寸たりとも認めるわけにはいかない。かといって理屈ではないので、近付かないでくれと言う以上のこともできず、かなり立場的に苦しかっただろうと思います。まず状況を変える必要がありますね。

b:id:yellowbell コミュニケーション 「口動かすより身体動かせ」っていう、実務者らしい結論だと思ったけどなあ。Web上に記事を残して誰かに反論させる責任なんて、現場で困窮者を救わんとする彼の責任感に比べたら、実際、屁でもないわけで。 2009/07/04

実際その通りだと思いますよ。現場での実践の重さに比べれば、web上の言葉は鴻毛のように軽いものでしょう。ただ、そういっても議論には議論のルールがあり、価値があるわけです。もし素人と議論する価値はないとお考えになるのであれば、最初から口を開くべきでなかったと思います。わたしは、素人を議論に巻きこんだ方がいいだろうになぁと思いますけどね。いま、ここでisikeriasobi先生を全面擁護している人たちだって、彼がwebに姿を現さなかったら関心を持たなかったんじゃないですか?

b:id:yousuke-m ネット 薄っぺらいまとめ 2009/07/04

「まとめ」ではないです。

b:id:NOV1975 Web 同じ土俵に「立てて」ないのに立っていると思うと寂しい結末に。 2009/07/04

そう、同じ土俵にはもともと立っていなかったんです。現場と論壇とでは目的も違えばルールも違う。isikeriasobiさんにはその自覚があったのに、それを総括できなかった嫌いがあります。そこが問題だったのではないかと思うんですよ。

b:id:blackdragon ネット社会学 部分同意。「だれひとりとして」いや、私は違和感の表明をしたけど。http://b.hatena.ne.jp/blackdragon/20090629#bookmark-14248432 2009/07/04

それは失礼しました。それでは、isikeriasobiさんがwebを下りたことについて、とお受け取りください。現場の知る専門家の見解を絶対視してweb上での議論を取るに足らぬものとするならば、isikeriasobiさんがweb上で発言する意義をなかったことにする、あれは無駄だったとするということです。そこを了解してない人がちらほらいらっしゃるような気がしますね。

収束してきたかなぁ

b:id:fromdusktildawn 記事を残しておいて、不毛な反論や揚げ足取りのようなことを書かれて、放置しておくとそれが通っちゃったりするのでいちいち再反論する必要があるけど、そのやりとりに時間を割くだけの価値を見いださなかったとか? 2009/07/04

まあ、おそらくはそういうことなんでしょう。ただ、そのことは充分に事前予測が可能だったので、その点はisikeriasobiさんの抜かりだったかもしれないです。

b:id:T-3don 議論 振り上げた拳のおろし所が無くなって困惑、と言う話。/死者に鞭打たないのは再反論できないから/論者として評価したければどうぞ存分に。恐らく、戻ってこない人を評価する事に多くの人は興味が無かったのでしょう。 2009/07/04

わたしは拳を振りあげてないので、このエントリに対する要約としては当たってないですね。isikeriasobiさんの自殺は、後に残されるものに対する暴力ですよ、という点だけは確認してほしいと思います。ちなみに、わたしがこのエントリ中でしていることは、isikeriasobiさんの論者としての資質を評価することではありません。かれの周辺の人びとの姿勢を問題にしています。

b:id:tano13 web, communication ルール設定を自在に出来れば、相手をルール違反だと自由に非難できるよね。web論壇ってのが現実を変えれたのを見た覚えがないので絶望に共感するけど。実際には一人の意見すら変えられた記憶がない 2009/07/04

そう、ルールは自分勝手に決めることはできない。そこをisikeriasobiさんは見落としていたと思います。専門家の立場と目的は、一般人と共有できなかったんです。現場の利益に反しているからとしても、一般の議論を制約することはもともと不可能だったんです。ところで、web上での議論の影響力ですが、おそらくポケベル、ケータイくらいには効能があるだろうと想像します。

b:id:o_ne_i 社会 "自分のweb上での発言が現場に悪影響を与えうると本当に考えるならば、なぜ最初から発言を慎まなかったのか"←説教強盗みたいな言い草だ 2009/07/04

説教はともかく、強盗とは何を指していますか? わたしが暴力をもってisikeriasobiさんの利益を剥奪したという事実がありましたでしょうか?

b:id:Amerikan 本当にこの状態で「差別されている人と戦いたい」というんだろうか、と思うとこっちも躊躇してしまう。あとその「差別されている人」はどこ行っちゃったのか?と思うのはあるよね。 2009/07/04

そうですね。わたしは現場を見ていないので(←デモの方ね)断言はいたしかねるのですが、どうも当事者への配慮を欠いて事が進められていたんじゃないか、他人事あつかいだったのではないかという気がします。ただ、社会のなかでの動きが大きくなればなるほど、当事者とじかに接触する人の比率が下がり一般化することは避けられないことですので、もし支援運動の輪を当事者近辺に絞りこもうと考えているのでなければ、そうした現実は受け入れざるをえないだろうとも思います。そのうえでどうするかを考えないといけないようですね。

b:id:muchonov 結果的にコミュニケーションコストに見合う対価が得られなかったと合理的に判断されただけのように見えますけど。KPIを設定して撤退ラインを決め、速やかに決断するのはビジネスの基本で、「迷走」とは言われません。 2009/07/05

コストに見合わないのは最初から分かりきっていたことなんです。専門家としては、一般人に「理解」を求めることはできても、どだい立場も違えば目的も違いますから、たとい全力を注いだとしても言動を制約することは不可能なんですよ。一般人としても、専門家の見解を「傾聴」することはできても、立場が違うので「代弁」することはできません(一般人のくせに専門家きどりかよ、ってことになる)。isikeriasobiさんはどうがんばってもその立場の違いを越えられないんです。isikeriasobiさんの力不足だったとかではないですよ。現場の合理性は一般の合理性に合致しない。それが専門家と一般人のあいだに絶望的に横たわる溝なんです。

ブコメブコメ

b:id:Mukke 議論, ( ゚д゚)ポカーン, 釣られないクマー 彼が文章を消したのは本当に残念だった。その点について,彼の行動には疑問が残る。けどそれだけ。 2009/07/05

「彼の」に関しては一つの判断として「それだけ」で構わないと思いますが、いまここに残っている我々が何をなすべきかについては、継続して考えなければならないかと思います。

b:id:sauvage コミュニケーション, ネット, はてな, メタブで続き こんなコップの中の立ち位置問題にまでなったら職業人は相手してられない。まして一線踏越えた争い方してる人だ。他人の論難の前にリソースを十分割けないプロが参入し難いcommunicationに荷担する自分の主体性は? 2009/07/05
b:id:sauvage meta かの切込隊長だって炎上したんだからいしけり氏が「戦略的」に動くなんて出来る訳無い。こうやって"作法"や"粘着した者勝ち"になってるんだから撤退したのは結果的に正解。 2009/07/05

撤退が正解というのであればそれはそれで結構ですが、とすればそもそも参戦したこと自体が間違いだったということになりませんか? わたしはisikeriasobiさんのweb論壇への参戦を歓迎しているので、その考えには賛同できません。ただし参戦するからにはリソースを要することは最初から明らかでした。それが読めなかったとしたら、それはisikeriasobiさんの迂闊さだったでしょう。

b:id:nekora "せいぜい我々と対等の立場に過ぎないわけで"  対等なのは使える通信手段だけである罠 つか反知性主義キター 2009/07/06

被引用部の前後はこうなっています。

我々はそのことについて現場をしらないのだから文句を言える筋合いではない。isikeriasobiさんは現場のことについてweb論壇では特権的な地位にある。しかし現場の問題を抜きにすれば、そこに特権性はなく、せいぜい我々と対等の立場に過ぎないわけで、だから現場の実務家としてではなくweb論壇の論者と位置づけてその立ち居振るまいを問題にしたいなと。

現場に立つ実務家という特権的な地位を抜きにしても、まだ、なにかしら特権性を帯びているとお考えなのですか? とすれば、その特権性とは何ですか? わたしはそのような特権性などなくweb論壇における論者としては対等だと考えたからこそ、このように書いています。対等だから対話ができる。もし相手に特権性を認めてこちらがそれに唯々諾々と従うしかないというのであれば、それこそ反知性主義というものではないでしょうか?

*1:あともう一つ、現場の利害を抜きにして「反日上等」について語ることも可能だと思うが今回はパス。

*2:なんで予告する必要があったの?お別れパーティでも催したかったの?