曹仁の軍師 張詹

曹仁が征南将軍を務めて荊州に駐屯していたころの軍師。

『水経注』巻二十九
(原文)湍水又逕冠軍縣故城東,縣本穰縣之盧陽郷、宛之臨駣聚,漢武帝以霍去病功冠諸軍,故立冠軍縣以封之。水西有《漢太尉長史邑人張敏碑》。碑之西有魏征南軍司張詹墓。
(訳文)湍水はまた冠軍故城の東をよぎる。冠軍はもともと穣県の盧陽郷と宛の臨駣聚であったが、漢の武帝が、霍去病の功績が諸軍に冠たることから冠軍県を設立してここに封じたのである。湍水の西岸には《漢太尉長史邑人張敏碑》がある。碑の西隣には魏の征南将軍の軍司の張詹の墓がある。

征南将軍とは曹仁を指す。軍司というのは原著者が司馬師の諱を避けたもので、軍師のことと考えられている。張詹はおそらく太尉長史の張敏の縁者で、同じく冠軍の出身者なのだろう。碑文の内容が伝わっていないので、張詹なる人物がどのような活躍をしたのかは分からない。