等級主義

いま読んでる本から。

入門 史料を読む―古代・中世

入門 史料を読む―古代・中世

史料を尊重する実証主義に貫かれた日本古代史研究を推進した坂本太郎氏は、その晩年に執筆した「史料」(国史大辞典編集委員会編『国史大事典』第七巻〈吉川弘文館、一九八六年十一月〉七五三〜四ページ)において、「史学研究法上の術語。史学研究のための材料となるものを総称して史料という森羅万象、有形のもの、無形のもの、過去にあったもの、現在にあるもの、すべて史料になるが、研究の目的に従って、その史料を選び、史料の性質を検討し、的確な解釈を施して、史実を確定しなければならない」とのべ、わが国における坪井九馬三氏による「史料」の等級付けから、等級主義は今日ではほとんど学問的におこなわれていないこと、そして「あくまで研究者が自己の識見によって、史料の外的内的の批判を行い、その結果によって史料のいうところを綜観し、史実の認識に到達すべきであろう」と説いているのである。

ことに南京事件に関して「一級資料ぉぉぉぉ!!!!一級!一級!超ぉお一級ぅぅぅぅ!!!ぬぬ」などと言いたがる人が多いので、ここだけ引用しておく。ここでいう等級とは、現在の一次、二次史料といった区分のことで、より高次の史料をより信頼できるとする考え方なんだけど、一次史料は当事者の手になるものでバイアスがより強固であったり、多数の史料を相互に照らし合わせたほうがより的確に多角的に見られたり、いろいろあって戦後は用いられてない。なので、一次史料だというだけでそれが他の複数史料を廃棄してでも全面的に依拠するに足るというような主張をするのは、史学をやってない人だけ。よく産経新聞の歴史モノの記事でこういう言いまわしが多用されるので、社会的影響を考えるとちょっと困る。

あと、ちょっと着目してほしいのが、この坂本氏が「史料を尊重する実証主義」の研究者として紹介される一方、同時に「史料の外的内的の批判」を行う必要があると解説している点。史料を尊重するというのは史料を鵜呑みにすることではないし、史料を批判するというのは史料を軽視するということではない。

たしかE.H.カーの『歴史とは何か』でも等級主義を否定していたように思うが、どのページなのかよく覚えていない。