董昭

魏公の建議以外でも『後漢書』に出ていた。

後漢書』賈琮伝
【原文】時黃巾新破,兵凶之後,郡縣重斂,因緣生姦.詔書沙汰刺史﹑二千石,更選清能吏,乃以琮為冀州刺史.舊典,傳車驂駕,垂赤帷裳,迎於州界.及琮之部,升車言曰:「刺史當遠視廣聽,糾察美惡,何有反垂帷裳以自掩塞乎?」乃命御者褰之.百城聞風,自然竦震.其諸臧過者,望風解印綬去,唯癭陶長濟陰董昭﹑觀津長梁國黃就當官待琮,於是州界翕然.

【訳文】そのころ黄巾賊を打ちやぶったばかりで戦火の余燼は冷めやらず、郡県は二重の税務を課し、それが犯罪を生むきっかけになっていた。詔勅により刺史、二千石を篩いわけ、改めて清廉有能な官吏を選ばせた結果、賈琮が冀州刺史となった。旧来の作法では、公用の馬車や副馬と駕籠は赤いとばりを下ろして(刺史の赴任を)州境まで出迎えることになっていたが、賈琮は到着すると、馬車に乗りながら「刺史たるものは遠くを見て広くを聞き、善悪を見定めるべきものだ。どうして反対にとばりを下ろして自分の目隠しをする必要があろう?」と言い、御者に命じて上げさせた。百の城らは噂を聞いただけで自然に竦みあがった。汚職をしたり過誤のあったりした者どもは、噂に触れただけで印綬を解いて立ちさった。ただ廮陶の長である済陰の董昭、観津の長である梁国の黄就だけは、職務に就いたまま賈琮を待ちうけた。こうして州境はすっかり平穏になったのである。

本伝ではあっさり流されているところですが、董昭の清廉さを示すエピソード。黄就はこれっきりで他には登場しない。