宜禄と秦誼と秦宜禄

宋書』百官志に丞相府の門の開閉をつかさどる宜禄という漢代の蒼頭があったと見える。

宜禄と字す蒼頭あり。漢に至り、丞相府のつねに関白するところあれば、閤に到りてしきりに「宜禄」と伝呼す。これをもって常となす。

後漢書董卓伝の注に秦誼というものが見えている。

『九州春秋』に曰く。呂布もとより秦誼、陳衛、李黒らをして偽りて宮門の衛士となし、長戟を持たしむ。董卓の宮門に到るや、李黒ら長戟をもって董卓の車を挟叉し、あるいはその馬を叉す。

呂布の部将に秦宜禄というものがあるが、これが秦誼と同一人物で、宮門の衛士になったことから宜禄と呼ばれるようになったとすれば、面白い。