光武帝が惚れこんだ美男子ぶり

みんな大好き美男子だよー。

後漢書』独行列伝

陵續字智初,會稽吳人也。世為族姓。祖父閎,字子春,建武中為尚書令。美姿貌,喜著越布單衣,光武見而好之,自是常敕會稽郡獻越布。

陸続は字を智初といい、会稽の呉のひとである。代々にわたる名族であった。祖父の陸閎は字を子春といい、建武年間に尚書令になった。顔や姿は美しく、越の布の着物を身につけることを好んだ。光武帝はそれを見て好ましく思い、それからはいつも会稽郡に命じて越の布を献上させた。

後漢書集解』

惠棟曰:「吳地記云:閎姿容如玉,威儀秀異。光武升臺見而偉之,笑曰:南方故多佳人。選尚甯平公主。辭疾不應。」

恵棟は言う。「呉地記に言う。陸閎の姿形は玉のようで態度の優雅さは抜きんでていた。光武帝は役所に上がったとき、かれに会って立派だと思い、笑いながら『南方にはもともと美男子が多いんだ』と言い、特別に甯平公主を嫁がせようとした。(陸閎は)病気を口実に承諾しなかった。」

この陸閎が、孫呉陸遜の祖先にあたる。陸遜の祖父が陸紆、陸紆の祖父が陸続、陸続の祖父が陸閎。陸続は、陸績からみて曾祖父にあたる。