ファルージャの惨状
- バグダッド陥落後、ファルージャで最初の抵抗がおきたとの事で、その理由としては
- 米軍が学校を占拠して軍事拠点とし、教師や子供に対してしつこく持ち物検査をおこなったために、親の間で不満が溜っていた
- 不満を受けて部族長と米軍が交渉したが、米軍が拒絶。
- そうしているうちに、若い米兵が子供達にヌード写真を見せびらかすなどしはじめ、イスラム的に徹底的に侮辱されたと考えた人達が不満を爆発、2003年の4/20に米軍に対する抗議デモを行った
- それに対し、米軍はデモ隊への発砲で答えた。
- その為死傷者が出てデモ隊は逃げたが、米兵はデモ参加者を民家まで追いかけ、射殺するなどして、一気に緊張関係が出来た
- 殺された民間人の家族を中心に武装決起、米軍とファルージャの住民の間で戦闘状態に入る
- その結果、米軍は陸空から武装・非武装を問わず民間人を無差別で撃つ状況となった
こんなことがきっかけだったそうです。