努力の成果は占有できない

【内田樹の研究室】若者はなぜうまく働けないのか? via 【otsune’s bookmarks on del.icio.us】
「個人の努力の成果は個人が占有してよい」というのは生存競争がほとんどない時代、リソースの分配競争に負けても餓死することのない安全な時代にだけ適用できる「特別ルール」なのである。
それ以外のすべての場合において、努力の成果は占有してはならず、つねに他者と分かち合わなければならない。

ソロモンタイムを思いだす。

【大介研究室】ソロモンタイム
漁には集団漁と個人漁がある。追い込み網やイルカ漁など、たくさんの獲物を一度に捕獲する集団漁には、多い時で30人近くの人が参加する。この集団漁の分配は、働きのいかんにかかわらず、参加したもの全員で均等におこなわれる。漁の成功に誰がどれだがどれだけ貢献したかという話はしばしばされる。しかし、分配はあくまでも均等だ。

ところで、

「お前は貝殻を使うとスープが効率よく食べられるということに気づいたのだね?」
子どもは誇らしげに「そうです」と答える。
すると父親は厳しい顔をしてこう言う。
「では、なぜお前は貝殻を家族の人数分拾い集めようとせずに、自分の分だけ拾ってきたのだ。お前にはスープを食べる資格がない」

これは、いい話だにゃー。