論点からの逃走

【日記&ノート(転叫院)】映画「靖国」

私たちは皆、夢の奇妙な論理を表現するためにフロイトが引用した「借りたやかん」のジョークを覚えている。すなわち、返したやかんが壊れていたことを友人に責められて、互いに相容れない言い訳を羅列するというものだ。(1)君からやかんなんて借りてない。(2)君に返したときは壊れてなかった。(3)君に借りたときにはすでにやかんは壊れていた。

by スラヴォイ・ジジェク

http://www.asyura2.com/0304/war29/msg/541.html

(1)戦争中の虐殺などなかった(2)日本刀では何人もの人間を斬ることなどできなかった(3)確かに多くの人間を斬ったが、相手は戦闘員であった

三つの相反する主張が同一人物によりなされることについて述べられたもの。しかしそれらは必ずしも同時に主張されるわけではなくて、ではどういう契機により主張が変更されるかといえば、それは最初の論点が行きづまったときであり、それに続く論点が行きづまったときであるわけだから、これはつまり旗色の悪さを察した途端にみずから持ちだした論点から逃走しているということ。第一の論点でそう主張すれば第二・第三の論点でこう主張することはできないのだから背水の陣、決死の覚悟で戦線を維持すべきところ、もともとそこを決戦の地と定める理由に戦略的な確信など持っていないし、ひよわな戦力しか用意できていないためあっさり要害を放棄してしまう。放棄するだけならまだしも、それを「転進」などといって美化するからいつまでたっても強くならないし、勝てない。さすがに皇軍の末裔を自負するだけあって、日本古来の伝統と大和民族の遺伝子をよく受けついでいると言える。

こういうのを相手にするときは相手が非を認めるまで決して論点の変更を許さないことが肝要。でないとぐだぐだよー。