ハルヒとたけくらべ

さっき検索してみて初めて気づいたんだけど、『涼宮ハルヒの憂鬱』のハルヒと『たけくらべ』の美登利を比較する論考が一切存在してないんだね!

いや、わたしはどっちの作品もちゃんと読んでなくて粗筋くらいしか知らないけど、てっきり『ハルヒ』は『たけくらべ』のオマージュとして現代風にアレンジした作品だと思ってたんだけど!

ハルヒはまるで世間を知らないお子様で、子供ならではの万能感、優越感でもって子供たちの頭目になる。自分の身体的魅力を武器にすることも知らず、精神的成熟を覚悟しないばかりか、そもそも自分たちの住む子供の世界とは別の世界があることにさえ気付いてはいない。

他方、世間の風に触れていずれその世間に取り込まれざるを得ない己の宿命に諦めを抱き、憂いなき少年時代を懐かしく思い出しては溜息を吐くだけの日々を過ごしていたキョンは、ある日、今もなお少年であり続けるハルヒと出会い、久しく忘れていた少年の気持ちを思い出す。そしてもう一度、諦めや憂いを知らない少年の日々を取り戻そうと決意する。

作中ではハルヒキョンの騒がしくも痛快な日々だけが描かれる。しかし一連のシリーズの結末部分で暗示されることになるが、その光明の裏で輝かしき少年時代の終焉は音もなく忍び寄っていた。ハルヒが恋を知るからだ。大人の世界を垣間見てしまったハルヒは子供の世界に留まる資格を既に失い、初めはとかく宿命を拒絶せんと空しく抵抗するが、やがて逃れ得ぬことと諦悟し、虚ろな眼差しで大人への階段を上っていく決意を固める。もう振り返ることはできない。振り向くまい。さようなら、少年時代よ。

っていうお話じゃないの!?えー、違うの。勘違いだったのかなあ。