全体主義にもお国柄

日本は全体主義の社会なんだけど、中国とは現れかたが違うよね。


【北京メディアウオッチ】在北京日本人Aさんが手記 「私、隔離されました!」

飛行機で北京入りした日本人が、同乗者に発熱があったためホテルに3日ほど隔離されていた、というセルフリポート。当人にはお気の毒なことだけど、中国の検疫体制の一端がかいまみえて興味深かった。当局が状況や法的根拠の説明をまったくしなかったというところに、この国の、国家全体の保安のためなら個人の権利など一切お構いなし、という冷徹さがうかがえる。

日本だとこうはならないだろう。けれども、日本が全体主義でないかといえば、おそらくそうではないだろう。日本には日本なりの全体主義のありようがある。

日本では社会全体の取り組みとして、あるいは政府の働きかけよるインフル予防はあまり強調されなかった。それよりもマスク着用の推奨など、個々人の努力を求める姿勢がめだった。マスクを着用しないものは白眼視されたし、感染者が出れば全国から非難中傷が浴びせられた。社会の、あるいは政府の無作為を責めるのではなく、個々人に責を帰してこれをなじる、というのはいかにも日本的、農協的だ。個人を責めたてている合間は社会全体の責任は不問にされている。これも全体主義の一つの現れだろう。

中国政府の対応と、日本政府や社会の対応とは正反対のように見えるが、その実、全体主義であるという点では一致し、しかしまたその現れかたは対極にあるように思われる。中国では合理性を突きつめた結果として全体主義に行きついているように見えるのに対し、日本のほうはもっと幼稚で甘い感性に由来しているように見えて、ちょーかっちょわるい。

日本人は全体主義を克服するだけの知性や能力はすでに有しているのに、それを実現しようとする気概に欠けている。そこんとこが津田っちや梅田もっちーがもどかしく感じてるところなんじゃないの。