小田川城

ふと、思い出したので引用しておこう。

小田川城の由来】
 一五七九年、(天正七年)羽柴筑前守、秀吉は、
織田信長の命を受けて、奥州、津軽地方、喜良市部落の
山林「大判沢」と言う所に金採掘の為、
総勢一万三千五百人の兵を連れてやって来たという。
 その時、喜良市と嘉瀬の間の小田川山に出城をかまえて
小田川城を築城、金採掘の為に小田川城から司令を出し、
金山採掘の人夫達の宿泊の場となったのである。
 その時、羽柴秀吉は喜良市部落の酋長、喜良市三上佐助
高敏の長女、とら姫と縁を結び、その長男は羽柴と三上の
二つの姓を名乗り、津軽守護代として、数百年続いたと
いう説である。
 現在は、十七代城主、羽柴誠三秀吉の手により
平成二年、七月二十五日小田川城を復元したのである。

小田川城主 羽柴誠三秀吉
http://joukan-tamashy.web.infoseek.co.jp/joukan/zz/odagawa/odagawa.html

まあ、ぶっちゃけでたらめなんだが、でたらめではありながら、それなりの教養がなければ書けない文章で、羽柴誠三さんの意外な一面がかいまみえる。ただし文章として読みやすくはない。

日本人は往時の栄華を再現するより古ぼけた現物を見ながら当時の面影を
省察するのが好きで、資料もなく跡地に時代無視した斬新な構造物など建てないが
http://d.hatena.ne.jp/mujin/20090515/p1

ぷっ、はずかしすぎるwwww