絶叫してるアレの件

私もびっくりしちゃって新しいカテゴリをつい作ってしまった昨日のアレはてなブックマーク周辺では「トンデモ」との評価がすっかり定着してしまった伊藤純子伊勢崎市議ですが、1月17日付けで、反論(と称するもの)を掲載しております。
まずid:makinamikonbuさんの指摘ですが(文中「林氏」は伊藤氏の誤り)、

本当に林氏が市会議員としての誇りを持っているなら、ほんとうに問題にすべきなのは「『モデル募集』という名目で少女を誘い出して少女と性交渉したり、ホテルなどで強引な撮影をしたりする」輩から、市民が「被害者」にならないように対策を立てることなはず。それすらもせずに、「被害者」を「幼稚」「破廉恥」と叩き、「加害者」を擁護する発言を恥ずかしげもなく世界に発信する。そんな伊藤氏には、本当に寒気を覚える。
http://d.hatena.ne.jp/makinamikonbu/20060116/1137410310

被害者の責任をあげつらうことにより加害者への責任追及が事実上の不問に付されているという、ごく全うなもの。さて、これに対して伊藤市議は、

女性の方にも問題があると思われます。…私は女性だけを非難した覚えはありません。

って、一行レスかよっ!しかもid:makinamikonbuさんの指摘を全く理解できてないか、あるいは意図的に無視しています。この方、「も」ってexcuseしておけば何を言っても許されると思ってるんじゃないですか?「津南町や栄村の人たちにも問題があると思われます」とか「ヒューザー物件への入居者の方にも問題があると思われます」とか「さらわれて殺された子供たちの方にも問題があると思われます」とかサラリ平然と言い放ちそうです。すごいです。こわいです。

この一行レスの前後、伊藤市議はだらだらと関係ないことを書き連ねてますが(肝心の反論とやらはどこやねん?)、市議のどうしようもなさを示す一文(いや、全文がどうしようもないんですが、「特に」ということで…)を引用してみましょう。

我が伊勢崎市のとある公立高校といった教育現場で、性教育の一環として「避妊具の使い方」を指導しようとした女性教師がいたのです。これはジェンダーフリーの思想に翻弄された女性教師の性教育の実態です。

えーと、この方、「性教育=ジェンダーフリー」だと思ってるらしいです。なんなんだ、このガサツな認識は…。開いた口がふさがりません。

で、結局、ジェンダーフリー性教育が性犯罪を誘発するという主張の根拠はいまだに挙げられません。証拠マダー?

ああいけない忘れてた

また伊藤市議の自称「反論」から引用します。

私の意見に賛成の方、あるいは反対の方もおありかと思われますが、誰が何を言おうと、私の抱く「ジェンダフリー思想による男女共同参画の危険性」に対する主張を撤回する意思はございません。たとえ、読者のあなたと私の意見が合わないとしても、所詮、あなたと私は思想が異なるのですから、見解の相違は仕方がないと思われます。

id:seijotcpさんも触れていますが(ここ)、「思想が違うのだから見解の相違は仕方がない、誰がなんと言おうと主張を変えない」というのは、こりゃはっきり言って言論の放棄ですよ。異なる意見の持ち主が互いの見解に変化を与え合うことができないのならば、言論なんて何の意味もない。自分に同調する人間だけをかり集めてアジテーションしてるだけじゃないか。議員ってのはてっきり議会で言論を戦わせるのが仕事だと思ってたんですが、この方、市議になってから、一体どんな仕事をしてるんですかね。ひっじょーに不思議です。

追記(1月18日)

上記の点について、より正確に述べている方がいらっしゃったので、ここに引用。

主張の論理が破綻していることはともかくとして、junks1 さん自身が明言しているように、対話の回路を最初から閉ざしていること――それも本来は他の人々の意見を集約して公共性を形成していくべき職業に従事している人が――こそが根本的な問題であるように思います。
立論の妥当性に対する問いさえ「所詮」「思想が異なる」ものとして切り捨てられ、その一方で自らの提示するテーゼは「誰が何と言おうと」保持される以上、それを他人に対して説得的に提示する努力は根本的なところで放棄されているように思われます。
そしてそこで他人の意見を聞くというポーズすら(!)*1取られない以上、論理的な整合性や因果関係における妥当性が争点とならないことは、ある意味必然的な帰結ですらあるのでしょう。
http://d.hatena.ne.jp/Bacchus19/20060118#p1

最初に「ジェンダフリー思想による男女共同参画の危険性」に対する主張を撤回する意思はございません。」と来て、後は説明にも反論にもなっていない文章が続く彼女の文章構成を見ると、「彼女にとっては『ジェンダーフリー思想による男女共同参画は危険だ』という「結論」が先にあって、その「結論」を導けるのであれば、後の理屈はどうでもいいんだな」と思わざるを得なかった。
(略)
それは、彼らにとって、圧倒的に大事なのは「過去の日本は悪くなかった」という「結論」であって、そこに至る理屈は根本的にはどうでもいいからなのだと思う。彼らの理屈は、彼らの「結論」を主張するための単なる道具でしかないので、いくら妥当な批判をしたとしても、彼らの「結論」を変えるのは不可能に近い。全く無視するか、また違う理屈を持ち出して、同じ「結論」に持っていくだけの話だ。
http://d.hatena.ne.jp/opemu/20060118/1137518663