政治力が乏しいから賞賛される

よく武装豪族が反乱を起こしたと史書に記録される。その州郡の牧守は政治力を欠いていたと評価される。これが全く正反対なのだというお話。
後漢時代も末になると、公の権力の執行者である官が衰え、私の権力の執行者として豪族が盛んになった。豪族たちは官の権限を盗み食い、私腹を肥やしていったのだ。それだけ強い権力を持ち、豊かな資力を持った豪族たちが、なぜわざわざ反乱などというリスクを犯さねばならなかったのだろうか。

それは、自分たちの権力や資力を脅かされたからなのだ。

脅かした?一体、だれが?

牧守である。

官の威光をないがしろにする豪族たちの跳梁跋扈を看過せず、公法を奉じて彼らを処罰しようとしたのだ。だから、豪族たちは自己の権力を守り抜くため、武器を手にとって反抗するのである。

牧守のなかには、腐敗豪族を一掃せんがため熟慮に熟慮を重ね、万全を期して計画を成功させた者もあったし、甘い見通しで予想外の反撃を食らい、かえって自己の生命や財産を失う者もあった。しかし、彼らは実現能力の違いこそあれ、少なくとも豪族の横暴に対する問題意識を共有していたと言える。そのセンスは公平に評価すべきだ。

断固として豪族の汚職腐敗を摘発し、これと戦った牧守は、彼らに憎悪され、儒家の教えに逆らう厳罰主義者と罵られ、「酷吏」として史書にその名を残すことになる。

一方、豪族たちになつかれ、微塵とも反乱を起こそうとは思わせないような牧守とは、どのような統治ぶりだったのだろうか。それは、着任早々豪族たちの主催する歓迎の酒宴に酔いつぶれてその恩返しに職権を委譲する牧守である。豪族たちの不法行為に目をつぶって彼らのなすがままに任せる牧守である。いつもにこにこと豪族たちの提案する政策案にぽんと盲判を押す牧守である。豪族や官吏の不正を告発する者があればその告発者を聞き取り調査と称して責め殺す牧守である。そうして豪族たちへの便宜を図ってその見返りに多額の賄賂を受け取る牧守である。

官の威光を蚕食する豪族たちの不法行為に対し、なんら手を打とうともしない。能力以前の問題だ。

こうして豪族たちの歓心を収めた牧守だけが、徳のある君主として賞賛される。史書に、特にこれといって統治方法を詳述せず、ただ「恩沢を施して官民これを慕う」とのみ記されているのは、みなその類であろう。豪族たちの不法行為に協賛することが「恩沢」の正体なのだから、詳述しようにもできないのだ。

政治力が乏しければ乏しいほどその政治ぶりを称えられるという逆転現象が生じ、とどのつまり、政治ぶりが称えられれば称えられるほど政治力の乏しさが明らかにされるという逆説が生じることになるのだ。

…なーんちゃって!

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