東三郡

漢中郡から分割された上庸、魏興(西城)、新城(房陵)の三郡は「東三郡」と呼ばれた。漢の時代、皇室や大臣で罪を犯した者があると、その多くが房陵に強制移住させられた。秦の始皇帝の時代にも、呂不韋の仲間一万家が房陵に強制移住させられている。流刑の地なのだ。