蔣義渠は袁紹配下の将軍。でも名前がヘンだ。義渠というのは北地郡に属する地名だけど、彼は地名を自分の名乗りにしているわけだ。同じように地名を名乗りにしている人はほかにもいる。
- 蔣義渠
- 北地郡義渠道
- 焦征羌
- 汝南郡征羌侯国
- 秦宜禄
- 汝南郡宜禄県
焦征羌は本名を矯といい、かつて征羌の県令を務めていたことがあると『呉録』に記されている。蔣義渠や秦宜禄がなぜそのような名乗りをしているのかは分からない。このほか少し時代をさかのぼると前漢に趙充国という人がいる。巴郡充国県から名付けられたのだろうか。また光禄大夫を務めた義渠安国という人もいる。義渠というのが姓なのだ。