張飛の入蜀ルート

【Yahoo!ブログ】にコメントできねぇ…*1。だからここに書きます。

こんにちは。
張飛の進撃ルートに関して少し事実誤認があるようなので、史料をご紹介いたします。
まず「法正伝」をごらんください。法正の言葉として「張飛軍数万人がすでに巴東を平定し、犍為の郡境に入ってから手分けして資中・徳陽を平定した」とあります。この徳陽には張裔がおりました。「張裔伝」に「張飛荊州から墊江を経由して侵入してくると、劉璋張裔に軍隊を授けて徳陽の陌下で張飛を防がせたが、戦いに敗れて成都に引きあげた」とあります。『華陽国志』では張裔を破ったのを諸葛亮のこととして、「趙雲は江州より別れて江陽・犍為を平定し、張飛巴西を攻撃、諸葛亮は徳陽を平定した。巴西功曹が張飛を迎え撃ち、張裔諸葛亮を防いだが柏下で敗れて引きあげた」と記しています。
なお、徳陽は梓潼郡と広漢郡の2ヶ所にありますが、張飛が通過したのは南の徳陽で、巴郡江州から涪水をさかのぼって徳陽に至り、そこからほぼ真西に進むと資中になります。雒城の裏を突き、じかに成都を脅かすルートです。
以上、ご参考いただければ幸いです。

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