法律のことはよく分からんが

【ものがたり】キャッシュをキャッシュでないと言い張る人間が出てくれば、Webの世界は使い物にならなくなる via 【otsune's bookmarks on del.icio.us】

いちばんキモの部分を「当たり前」とか「論外」とか「政治的」と片付けてしまって、まともに検討してないように見えてしまう。先行論文を検証したかどうか以前に、自説の論拠を再確認したほうがいいと思うなぁ。
たとえば、かれは

キャッシュとしての機能を有する存在を「キャッシュでない」と主張する行為は、実はそれなりに政治的であるということが分かる。

と言うけど、そもそもキャッシュとは何かを定義してないし、それが著作権法上でどう扱われるのか検討してないので、これでは「キャッシュでないものをキャッシュであると主張するのは政治的ではないのか?」という疑問に応えられないんじゃないか。今のままだと、キャッシュとしても機能しうるからキャッシュだと言ってるように見える。それなら全てのコピーはキャッシュだ、ということにすればこの世から違法コピーがなくなってハッピー。反対するやつは政治論を展開しているに過ぎないんだから気にしなくていいし。

そもそも、検索エンジンのキャッシュも、クレームに応じて任意で削除することが出来るというのであれば、それはもはや削除が操作可能であるということだから、有形的再製の条件に合致しないと考える方が論理的に筋が通っているはずだ。

これもどうなんだろうな。かれはGoogleキャッシュ(キャッシュじゃないけど)などが「法律を杓子定規に解釈適用したら著作権法上の複製行為を行っているのは当たり前」で、「これらのサービスは著作権侵害を行っていることになる」のを認めている。なのに、あとで削除できるから著作権侵害であっても著作権侵害でなくなると、そう考えているみたいに読めてしまう。著作権者がなにも言わなければ、なにか言ってくるまで、かってに無断複製しつづけるつもりなんだろうか。わたしも著作権者の目を盗んで隠れてこそこそ著作権を侵害しようかな。

キャッシュに関する論文*1は、2000年頃は僕は妥当していたと評価しているが、Webの使われ方が大変貌をとげた2007年に、それがなおも妥当すると無批判に考えるのは、硬直的で怠慢である。

かれは「キャッシュに関する論文」(わたしは読んでないけど)が2000年ごろにおいては妥当だったが、いま2007年でも妥当なのかどうかは分からないと言っている。それは2000年において密着していた「論文」と「Webの使われ方」との距離が、2007年では乖離している可能性があるという意味だと思う。かれは両者が乖離していることについて「論文」のほうが不当であると決めこんで、2007年の「Webの使われ方」が妥当であるかどうかを考慮していないようだ。あるいは少なくともそれが妥当であることを説明していない。だから、まるで2007年の「Webの使われ方」が「大変貌をとげた」にもかかわらずなおも妥当であると、かれが怠慢にも無批判に考えているかのように、わたしには見えてしまう。

ある人間xがWebページを複製し公開する行為の責任は普通に考えたら全てxにあり、公開するページのストレージの管理者は複製主体とは見なされないだろう(ユーザーに公開を許容しているストレージでは、著作権侵害のために利用される可能性が「相応に」あるはずだ)。Y!ブックマークとこれが具体的にどのように異なるのか

公衆送信する主体が異なるよね。

法律を改正しないうちはとにかく違法、みたいな文理解釈は、実はかなり政治的なものだし、絶対的に通用するものではない。

そのうち、殺人を違法とするのは政治的なもので絶対的に通用しない、とか言い出しそう。…に、見えた。法律の定めるところが妥当であるかどうか、妥当でなければどのような法律を作っていくかを議論するのはいいけど、おれは妥当じゃないと思うから法律を守らない、という主張にあんまり魅力は感じられないですね。