やけに日本刀を貶めたい人

まあ、自虐史観かな。という気がします。
【JANJAN】改めて問う、「百人斬り」は真実か コメント欄

新撰組のような素敵なお名前の方が、1937年の南京戦で行われた百人斬りをめぐって自信たっぷりにでたらめを語っておられます。故意による嘘なのか、ただの無知なのかは存じませんが。

日本刀は、材質・構造的に日本の包丁と同じで

日本刀は、材質も構造も包丁と同じではありません。(ノ∀`)
というか、一口に日本刀といっても、それだけでさまざまな材質のものがあるのに…。

護身用以上の意味はなく(指揮棒?)

護身用だから斬れないという理屈はありません。(ノ∀`)
むしろ斬れるからこそ護身に使えるんじゃないですか。采配に用いるのだから斬れなくてもよいと言うならピコピコハンマーでもよくなっちゃいますよ。そっちの方が軽くて視認しやすくなるからずっと実用的ですンなあほな。

武田騎馬軍団は、その特徴である機動力を発揮できない戦いで滅亡しました。

武田騎馬軍団なんて実在しません。(ノ∀`)

騎馬戦闘が主でなかった室町以前

歩兵が主力になったのは室町以前ではありません。(ノ∀`)
応仁の乱足軽の骨川道賢らが登場した辺りから歩兵戦が中心になってゆきます。話が逆ですう。

武蔵坊弁慶”よろしく背中に大刀(太刀より幅広でそりが強い)を何本も背負って、刃こぼれしたり、曲がったりしたら取り替えて戦ったそうです。

その主張では百人斬りが可能だったことになってます。(ノ∀`)
戦場でさえ刀を取り替える余裕があるなら、戦後処理において捕虜を斬殺するのに何の問題もないですね。曲がったら矯め、刃こぼれすりゃ取り替えればいいんですから。

包丁の砥ぎなら素人でもコツを覚えれば「ある程度」はできますが、刀となると、そうはいきません。

素人でもタッチアップの道具があれば「ある程度」の回復はできます。(ノ∀`)
というか、ついさっき「日本刀は、材質・構造的に日本の包丁と同じ」と言ったばかりの人が、同じ口で、包丁は研げるのに刀は研げないと言ってしまうことが実にも不可思議です。

“砥ぎ屋”も居ない中国大陸

従軍研ぎ師がいます。(ノ∀`)
まあ、人数が足りたかどうか知りませんが。

剣術の心得も無い主計・砲術の近代兵

向井少尉は銃剣道三段、野田少尉も剣術盛んな薩摩で学んでます。(ノ∀`)
だいいち軍隊に入ってからも訓練があるというのに…。軍隊ナメすぎです。ま、それが実戦で役立つかどうかは別問題。

“下賜の軍刀(刀としては武器と言うより美術品の類)”で人を斬ったとしたら

「下賜の軍刀」なんて使ってません。(ノ∀`)
向井少尉の使用したのは関の孫六、野田少尉は伝家の波平です。ことに向井少尉にいたっては事の発端となる東京日日新聞の記事に刀銘まで明記されてるんですけど…。

鋼同士を斬り結んだ(ぶつけた)ら

中国兵の捕虜の首に鋼なんて入ってません。(ノ∀`)
問題の事件は、二人の少尉が無抵抗の捕虜を斬ったとされている事件なのに、それのどこをどうすれば鋼同士を切り結ぶという事態が想像できるんでしょうか。

欠けてしまって直にノコギリみたいになっちゃいます

刃が欠けてノコギリ状になった日本刀で斬りつけられたら、たいがいの人は死んじゃいます。(ノ∀`)
藤原清衡の父経清はノコギリ状になった刀で斬られたという話があるんですが、かれの話をとれば、経清は死ななかったんでしょうかね。

刃のつぶれた日本刀は角のある鉄棒と変わりません。

刃がつぶれて角のある鉄棒状になった日本刀で殴りつけられたら、たいがいの人は死んじゃいます。(ノ∀`)

事実はテレビの時代劇のようには、いかないものですよ。

武田騎馬軍団だとか鋼同士で切り結ぶとか、それこそ時代劇みたいな話をしてる人の口にするせりふじゃありません。(ノ∀`)