光武帝紀14 「銅馬帝」

劉秀は王郎を滅ぼすと、河北を根城に自立を目指します。ついに更始帝とも訣別のときが来ました。


更始帝*1は使者を派遣して劉秀*2を蕭王*3とし、軍隊を解散し、功績のあったものを連れて行在所へ参れと命じ、幽州*4の牧*5である苗曾*6を任地に行かせた。劉秀が温明殿*7行幸したとき、耿弇*8が暇乞いをした。「役人も兵士も死傷者が多くなりました。上谷*9へ帰って兵士を集めたいと思いますが。」劉秀が「王郎*10はもう破滅したし、河北*11もほぼ平定された。国家*12はいま長安*13に都をかまえておられ、天下は大いに定まったのだ。このうえ兵士がいるというのかね?」と言うと、耿弇は「王郎は滅ぼされたとはいえ、天下の兵乱は始まったばかり。いま使者が参って軍隊を解散させたがっておりますが、承知してはなりませぬ。銅馬*14・赤眉*15の仲間は千人・万人単位もおり、向かうところ敵なしです。聖公*16の対処できるものではなく、敗北はきっと遠いことではありますまい」と答えた。

劉秀が「あなたはでたらめを言ってはならぬ。わたしがあなたを斬首してやろうぞ!」と言うと、耿弇は「大王はわが子のように耿弇をかわいがってくれました。だからこそ、あえて本心を打ち明けたのです」と言った。劉秀は言った。「わたしはあなたをからかっただけだよ。どうしてさっきのようなことを言ったんだい?」

耿弇、「百姓たちは王莽*17に苦しめられて、ずっと劉氏を懐かしく思っておりましたので、漢軍が立ちあがったと聞くと、喜び従わぬものはありませんでした。虎口を逃れて慈母のもとへ帰り、戟や矢を片付けるといっても例えきれませぬ。更始帝長安を都とするまで、百姓たちはさほど責めたてはしませんでした。いま長安を都として即位し、宮殿を建てて天子となりましたが、大臣らが権力を独占し、貴族外戚がのさばっております。政令は城外には及ばず、諸将の略奪は盗賊よりもひどいありさま。百姓たちは怨み悲しみ、天下は失望しております。それゆえ敗北が必至であると分かるのです。」

さらに、「明公*18南陽*19で計画をまとめられ、昆陽*20の城下では百万の軍勢を撃破なさいました。今度はさらに河北を平定され、道義をかかげて征伐し、善行を表彰して悪事を処罰し、おんみずから苦労を重ねられますと、(諸侯は)号令を発せられれば響くように応じ、風聞を聞けば馳せ参じました。天下というもっとも貴重なものを、公こそがみずから取るべきで、他人に与えてはなりませぬぞ!」劉秀が「あなたは他人にそれを口外してないね?」と言うと、耿弇は「これこそ重大事。他人に言えるものではありませぬ」と答えた。

そこで劉秀は訒禹*21に言った。「わたしは幽州の突騎*22を手に入れたいのだが、だれを使者にすればよかろう?」訒禹が答えた。「呉漢*23の文は不服従の者をうまく懐柔でき、武は一大事をうまく決断できます。ご任用ください。」

そこで呉漢を大将軍*24に任じて節*25を持たせ、耿弇とともに幽州の十郡から郡兵を動員させた。幽州牧苗曾は協力を拒んだ。呉漢が二十騎だけを連れて無終*26へ行くと、苗曾はその無防備を見て、城外まで呉漢を出迎えた。呉漢は騎兵どもに命じて苗曾を捕らえさせ、その場で処刑した。こうして彼の軍勢を取りあげたので、威信は北州*27を振るわせた。

呉漢が軍勢を率いて劉秀のもとへ行ったが、諸将は呉漢の帰還を眺めると、あまりに軍勢の多さに、みな口々に「あいつは自分で統率したがるだろう。他人に明けわたそうとはすまい」と言った。呉漢は到着すると軍隊の名簿を献上して、所属先を(決めてくださいと)願いでた。諸将はそれぞれがより多く(の増兵)を願いでた。劉秀は言った。「さっきは他人に明けわたさぬことを心配していたのに、今度は今度でより多くを求めるとはどういうことかね?」諸将はこのことから彼*28に心服した。

秋、劉秀は清陽*29で銅馬に攻撃をかけて、これを打破、さらに高明*30・董連*31を攻撃して大破した。軍勢十万人あまりを全て降伏させ、彼らの頭目にはみな領地を与えた。諸将はまだ賊軍らを信頼できず、賊軍の方でも寝返りをほのめかすありさまであった。劉秀は降伏してきた賊将らにそれぞれ軍勢を率いさせ、劉秀みずから軽騎兵を連れて彼らの陣営に入っていった。頭目たちは言った。「王は真心をつらぬいて他人を懐にお抱えなさる。命を投げださずにおれようか!」こうして、すっかり平和になり、賊軍を全て解体して諸将の陣営に所属させることができた。

更始帝の柱功侯*32李宝*33益州*34刺史*35張忠*36益州の平定に向かうと、公孫述*37は弟*38に軍勢を授けて綿竹*39で迎撃させ、李宝・張忠をさんざんに打ち破った。これにより威信は益州に振るった。功曹*40の李熊*41が公孫述を説得した。「ただいま天下はぐらぐらと揺れうごき、一介の男子*42が議論に横車を押すありさま。将軍は千里四方を切りとられ、領地は湯・武*43の十倍、威光・恩徳を発揮して時勢を窺っておられます。王霸の偉業も成ったが同然です。名号を改めて百姓たちを安心させるべきです。」公孫述はその通りだと思い、自立して蜀王*44と称し、将軍侯丹*45に白水関*46、任満*47に扞関*48を守らせた。蜀は土地がよく肥え、人民は豊かで兵士も多かったので、遠方の人々の多くが帰服した。邛*49の人である長貴*50は、王莽の越巂*51太守*52を殺して自立、邛穀王*53と称して公孫述に臣従した。塞外*54の部族長たちもみな公孫述に貢ぎものをささげた。

*1:こうしてい。劉玄(りゅうげん)のこと。

*2:りゅうしゅう。光武帝(こうぶてい)。後漢創始者

*3:しょうおう。蕭国の国王。

*4:ゆうしゅう。州名。

*5:ぼく。官名。州の長官。

*6:びょうそう。

*7:おんめいでん。宮殿の名。

*8:こうえん。

*9:じょうこく。郡名。

*10:おうろう。群雄の一人。

*11:かほく。黄河北岸の平原地帯。

*12:皇帝のこと。更始帝を指す。

*13:ちょうあん。前漢、新の王莽が都とした地。

*14:どうば。盗賊集団の一つ。

*15:せきび。山東半島の盗賊集団。眉を赤く塗ったことからその名で呼ばれる。

*16:せいこう。更始帝・劉玄の字。

*17:おうもう。新王朝の皇帝。前漢を滅ぼした。

*18:めいこう。大臣を呼ぶときの敬称。

*19:なんよう。郡名。

*20:こんよう。県名。

*21:とうう。

*22:とっき。精鋭騎兵。

*23:ごかん。

*24:だいしょうぐん。官名。

*25:せつ。勅使に与えられる旗。

*26:ぶしゅう。県名。

*27:ほくしゅう。北方の州。ここでは幽州を指す。

*28:呉漢を指す。

*29:せいよう。県名。

*30:こうめい。正しくは高湖(こうこ)。盗賊集団の一つ。

*31:とうれん。正しくは重連(ちょうれん)。盗賊集団の一つ。

*32:ちゅうこうこう。「柱功」を称号とする諸侯。

*33:りほう。

*34:えきしゅう。州名。

*35:しし。官名。州の視察官。

*36:ちょうちゅう。

*37:こうそんじゅつ。群雄の一人。

*38:公孫恢(こうそんかい)のこと。

*39:めんちく。県名。

*40:こうそう。官名。人事担当の重役。

*41:りゆう。

*42:更始帝重臣・趙萌(ちょうほう)のことか。

*43:とう・ぶ。殷(いん)の湯王と周(しゅう)の武王。いずれも古代の聖王で、徳の衰えた主君を討って新王朝を築いた。

*44:しょくおう。蜀国の国王。

*45:こうたん。

*46:はくすいかん。関所の名。

*47:じんまん。

*48:かんかん。同上。

*49:きょう。少数民族の名。

*50:ちょうき。正しくは任貴(じんき)。

*51:えっすい。郡名。もとは邛人の地。

*52:たいしゅ。官名。郡の長官。

*53:きょうこくおう。「邛人のよき王」の意。

*54:さいがい。万里の長城の外側。