他人の権利を横取りすることを正当化

【切込隊長BLOG】「著作権法の非親告化」法案の議論がややこしい方向に
 内容的には、とりあえず”企業「も」活用できる”し、”警察「も」取り締まれる”法案に過ぎなくて、恐らくは悪質な著作権侵害行為に対処するのにいちいち著作権者(下手すると法的な引継ぎもなく亡くなってたりする)に通告しなければならない実情をどうにかしましょうや、という以上の話でもなさそうなんですが。

権利者当人がなにも言ってないのに、赤の他人が先回りして二次利用を制限するってのがおかしい、つー話。当人にすら通告されてないのに、どうして「悪質な侵害」と見なしうるのか。だれが見なすのか。だれが侵害されたのか。著作物をどう扱うかを決定できるのは権利者だけであって、赤の他人に決められることではない。それこそ「悪質な著作権侵害行為」に外ならない。警察が勝手にそう判断して逮捕したはいいが、あとになって権利者当人が「いやあ、あれは、まあ別にいいんだよ」とか「どんどん複製してくれたらむしろこっちの方がありがたいくらいだし」とか「実はもう許諾出しちゃってるんだよね」とか言ったらどうするのか。しっちゃかめっちゃか。

コメント欄も、釣る馬鹿に釣られる馬鹿って感じだ。

ここはもっと強調しておくべきかも

非親告罪化ってのは、著作権者の権利を守るどころか、著作権者の権利を制限することになっている。

現行の法律では、著作権者はその権利を有する著作物をどのように管理するか、独占的な権利を認められている。しかし、非親告罪化すれば、その専有が否定され、警察などの第三者が著作物の管理に参入できるようになる。「オレのもの」が「みんなのもの」にされてしまうわけだ。

どこで間違ったのか

上で引用したブログが、なぜあのような間違いを犯したのか。それは著作物の利用者に問題の焦点を当ててしまったことにある。著作権法というのは良くも悪くももともと著作権者のある意味ワガママを保護するための法律であって、基本的にはただひたすら著作権者を主体として書かれている(引用などに関する条文でも利用者の権利を認めるものとしてではなく著作権者の権利の制限として表現される。あくまでも著作権者が主体なのだ)。なのに、かのブログは一部利用者のたちの悪い振るまいにばかり注目しているため、著作権者の意思をまったく無視する内容となってしまった。その結果、この非親告罪化が、著作権者の権利を制限するものであることに気づかなかったのだ。