煽動礼讃21世紀

これの続き。
かれがよく見抜いたように、歴史修正主義者は、自分たちが批判にたえるまともな議論をしているとは思っていないし、そもそも彼らの真のターゲットは歴史上の通説などではなく、その目的は、歴史を知らない人たちを惑わすことによって自分たちの利益を図ることであり、そのことは歴史家によってつとに明らかにされている。

歴史修正主義者が歴史家に刃向かうのは、通説を書きかえるためではない。自分たちの政治的目的から、歴史を知らない多くの人たちに「もしかしたら通説には瑕疵があって、彼らの言うことにも一理あるのかもしれない」と思いこませるためなのだ。彼らはそのためにさまざまなトリックを用いる。

たとえば自分たちの行為を「見直し」であるとし、歴史家がそれを拒絶するのは偏見や因習にとらわれているからだと人々に印象づけようとする。もちろん彼らの主張が歴史家に受けいれられないのは、その主張が非科学的だからだ。歴史家がその非科学性を指摘すればするほど、人々にはその姿が偏狭に見えてしまうことすら、歴史修正主義者の計算のうちである。

あるいは自分たちを「○○派」と呼び、歴史家を「××派」と呼び、まるで有力な学説が拮抗しているように人々に印象づけようとする。もちろん彼らは科学的検証にたえるほど有力な主張をしたことはない。歴史家がその杜撰さを指摘すればするほど、人々には歴史修正主義者の主張が議論にたえうる重要な主張だと見えてしまう、そのことすら歴史修正主義者の計算のうちである。

また、歴史家を「親○○国」とか「○○主義」と決めつけて政治のために真実をねじまげているように人々に印象づけようとする。もちろん彼らの主張が歴史家に受けいれられないのは、彼らが政治的に自由だからではなく、科学的に間違っているからだ。歴史家が彼らの政治性を指摘すればするほど、人々にはその姿に政治性を見いだしてしまう、それも歴史修正主義者の計算のうちである。

歴史修正主義者の主張はこのように箸にも棒にもかからない馬鹿げたものであり、その反面、ペテンの巧みさにかけてはまさに天才的というしかない。だからこそ彼らにとって「どっちもどっち」と人々に見なされることは実に好ましいことなのだ。本来ならば、試験でいうと0点でしかないものが、何かしら難癖を付ければ、その結果50点として扱ってもらえるのだから。

彼らのもくろみも、こうした手法も、現在の用途で「歴史修正主義」「否定論」という言葉が作られたときには、すでに知られていた。だから歴史家をふくめ良識ある人々は、長年、いかにして彼らに対抗するか、つねづね頭を悩ませてきたのだ。

だから、かれが歴史家を戯画化しているのは的外れにみえる。かれは歴史家が手をこまぬいて見ているだけ、あるいはむざむざと術中にはまって相手を利しているだけだと思っているのだろう。かれは驚嘆に値するほど歴史修正主義者のもくろみを正確に見抜いているが、にもかかわらず、それに手を尽くして対処してきた歴史家の実像がまったく見えていない。この両者に対する驚くべき認識の格差はいったいどこから生じてきたものだろうか。

かれは歴史修正主義に抗する一つの提議をする。歴史家が全力をあげて謬論をつぶし、人々に彼らの発言を信じさせるなと言う。ながい修正主義者との戦いのさなかでは、そうした提案も、もちろんないわけではなかった。一時的に効果は挙げるだろうが、しかし結局のところ、それは無知蒙昧な民衆を権威者が導くという構図のなかでしか通用しない。デマゴーグに抗するにデマゴーグをもってせよと言っているのである*1。かれの社会観の根本には徹底的な大衆蔑視がある。愚かな民衆は歴史修正主義者に惑わされるか、あるいは偉人により正しく導かれるだけの存在であり、民衆がみずから検証し判断するということはまったく想定していない。

とはいえ残念ながら、今のところ、人々は歴史修正主義に対して本当に無防備であると言わざるをえない。しかし、人々を無防備のままにしておくならば、たといこの場は収まったとしても、やがて第二、第三の歴史修正主義者があらわれたとき、オセロゲームのように、いともたやすく人々は謬論になびいてしまうだろう。とどのつまり、特効薬などありはせず、一人ひとりがペテン師のでたらめに踊らされぬよう免疫を保つほか方法はないのである。*2

わたしは歴史家ではないし、そもそも科学の一端に触れたことさえない。しかし、このことをみずからの問題として引きうけているのは、歴史修正主義者が歴史の書きかえを狙っているではなく、わたしのように歴史家ではない普通の人々を、みずからの野心の標的にしていることを知っているからなのだ。おそらく、かれにそのことは理解できないだろう。*3

*1:id:y_arimさんがすでに見抜いているように、この主張自体が相対主義である。煽動をもって煽動に対抗せよという主張は、けっきょく浮ついた宣伝合戦をせよとの意味であり、地道な事実検証をなおざりにし、人々に「どっちもどっち」との認識を植えつけるくらいしか役立たない。

*2:それにはワクチンを用いるのも有効な方法の一つであるが、それは医師によって処方されるものであり、人々がみずから得ることはむつかしい。けっきょく「先生」に依存する方法には限界があるのだ。

*3:あと、つまらないことなんだけど、「間違っている」「論法が悪質」と言われて俺はあいつに敵視されてると思っちゃうのは、ちょっとアレげな感じと思った。