唐諱

『晋書』胡奮伝を見ると、

烈子世元,時年十八,為士卒先,攻殺會,名馳遠近。

とあります。妙だなとは思ったんですよ。魏晋のころから二文字の名が増えてきたので、胡烈の息子もその仲間かもしれないんですが、「世元」ってのがあんまり名っぽくない。で、『三国志鍾会伝注の方を見てみたんですが、そしたらビンゴ。

晉諸公贊曰:胡烈兒名淵,字世元,遵之孫也.

案の定「世元」ってのは字でした。「淵」が唐の諱になるので避けてるんですな。

しかし、ちょっと待てい。その「世」ってのも唐の諱に触れてないですかと。太宗の名が「世民」なので避けててもおかしくないわけですよ。なのに「淵」だけ避けて「世」は避けていないのは何故なんですかと。

気になって中研院で『晋書』検索したら出るわ出るわ「世」の字がいっぱい1273段、ついでに「民」は115段。一方「淵」は15段でそのうち校勘記に現れたものを除けばわずかに1段のみ、なのですね。

ふむー、『晋書』では「淵」を避けるだけで「世民」は避けてないんだなぁ。編纂を命じたのが太宗なので、自分の名は避けなくてよいと執筆者に指示したんでしょうか。