松永史観って要はこういうことでしょ

【思いて学ばざれば】「日本は加害者」史観の別の言い方。

とりあえず固有名詞を入れかえてみて、まあ固有名詞そのものの歴史性なんかもからんでくるので一概には言えないんだけど、それでもなんかおかしいなって感じになったら、それはロジックの方がまちがってる可能性が高い。

http://www.kotono8.com/2008/07/15matsushiro1.html
確かにこの松代大本営を作るのに朝鮮人が強制連行されてきたという事実はあるが、そこでどれだけの虐待があったのかといえば疑問だという(この話は後でも記す)。たとえば、死者が出たという記録が数人分しか認められない。土屋先生もこの工事における死亡者を探そうと、長年にわたって必死で努力し続けてきたが、いくつかの事故の記録が見つかる程度だという。

強制連行されてきた朝鮮人はおよそ7000人。だが、それ以外に、3000人の日本人も労働していた。また、恵明禅寺の娘さんと朝鮮人労働者の結婚話にもあったとおり、現地日本人と朝鮮人強制労働従事者の間には暖かい交流も実際に存在していた。こういった事実を踏まえて考えると、この戦争遺跡を「日本から朝鮮への加害の場」ととらえることは、史実に反することであり、何らかのイデオロギーが先行しているということになりかねない。

ここを韓国の学生が訪れて慰霊の祈りを捧げたりすることもあるそうだが、そういう場所じゃないだろ、というような話っぷりで、わたしとしては非常に共感した。

たとえば、この部分の「日本」を「北朝鮮」に、「強制連行されてきた朝鮮人」を「北朝鮮による拉致被害者」や「帰還事業で騙されてきた人」に読みかえてみたらどうか。
はたして何の屈託もなく「虐待による死亡者は報告されていない」「労働の現場には朝鮮人もいた」「朝鮮人と結婚するなど暖かい交流もあった」「加害の場ととらえることは史実に反するイデオロギー」「日本人が慰霊の祈りを捧げる場所ではない」などと言えるだろうか。