拘束
昨日のエントリに関連してWikipedia:拘束を見てみたら、すごいことになってた。
そこにおいて、「身体の自由」があたかも「行動の自由」であるかのように、定義曖昧な「行動」という語句で説明、解釈するのは、仙台高裁(平成八年人ナ第二号人身保護事件決定)での解釈説明の「身体に直接的な抑制が継続的に加えられることにより行動の自由が制限されている状態」などという、国会無視の恣意解釈を強引に正当化するための作為的な偏向した説明としか思えない。
このような「行動」と言った語義曖昧な用語で説明することは、更なる社会的混乱、混迷を誘導することでしかなく合理性に欠ける説明といわざるをえない。
価値判断をふくむ語句使いすぎ*1。つか、ここで演説すんな。おまえの存在自体が合理性に欠けると言わざるを得ねえよ(笑)。