ナイーブマッチョ

と言っても、別に千葉県知事のことではなくてですね。


このエントリなんですけど、

【自由帳で数学とか物理とか】さすがに「ペトリオット配備反対」は常軌を逸しているとしか言えない
ペトリオットPAC-3は純粋な防衛用の兵器です。(略)純粋な防衛兵器であるPAC-3に対して反対運動を…

PAC-3ミサイル防衛を用途とする装備であることは何人も否定しないと思います。ただ、軍事においてこれは防御専用の装備であって攻撃には使用不可ですとはっきり言いきれるものではなく、攻撃こそ最大の防御という言葉もあるように、攻撃のための防御、防御のための攻撃と容易に反転しうるし、そもそもその両者の境界線は判然としないものです。


ミサイル防衛戦略はレーガン時代に考案されたSDI構想を継承しているかと思いますが、もともとソヴィエト*1や中国のミサイル群に対抗するために開発されてきたわけです。アメリカはすでに大陸間弾道ミサイル保有していましたが、相手国に打ち返されてはたまったものではないので、保有はしていても実際に発射することができませんでした。しかし相手国の反撃ミサイルを封ずることができるのであれば反撃を恐れる必要はなく、一方的に攻撃することが可能になります。迎撃ミサイルが防御はもとより攻撃に資するものでもあるとは専門家のあいだで一定のコンセンサスが得られているものと思うのですが、いかがでしょうか。


それを、防衛が一次用途であるから防衛以外の何の意味も持っていない、と考えるのであれば、それはいささかナイーブに過ぎるだろうと言わざるをえません。


上記エントリが批判対象としている吉沢弘志さんが講師を務めた「岐阜基地にパトリオットミサイルはいらない!各務原行動実行委員会」のページでは、迎撃ミサイルを「先制攻撃をしかければ、当然にも反撃されるので、それを封じ込める体制を作ろうというもの」としています。ミサイル防衛を一次用途としつつもその先に攻撃可能性が開かれていることを指摘しているわけです。


迎撃ミサイルそのものに対する賛否はともかくとして、「どちらが、よりナイーブか」という点でみると、上記エントリのほうが分が悪いとしか言いようがありません。かれは「外交を語るには最低限の軍事知識が必要だ」と述べましたが、発言者自身については、残念ながら、現在のところ兵器の個別の知識に留まり、総合力を要する軍事観の入口には到ってないように思います。軍事を語るにしては相当にナイーブ過ぎると思います。


んで、ですね。ここからが本題なんですが。


世にマッチョとされる人、発言、行動ってのは、だいたいこの手のナイーブさに基づいてる場合がけっこう多いんじゃないかと、そんな気がしたんですがいかがなもんですやろう? と、ふと思った。まる。

なんで読者に反対意見を紹介しないんだろう?


わたしは批判対象への参照を提示してるけど、向こうではこっちを紹介してないので、こっちを知らない向こうの読者は「ほほう、PAC-3北朝鮮本土を直接攻撃できると主張してるバカがいるのか」と思っちゃうかもしれませんね。やっぱ読者としては、見解の相違があったら見比べて判断したいですよね。まあ、トラックバックを打ってないので、それがこちらの意志だとお考えになったのかもしれませんね。


んなわけで、気になった点を逐条で。

だいたい、射程が20km〜30kmの hit to kill の対空ミサイルなんか攻撃に使いようがない

そんな主張は誰もしていないので言うだけ無駄です。

そりゃ、こっちが純粋な攻撃兵器を持っていて、攻撃のための法整備を整えていて、紛争の火種があり、攻撃することが国民のコンセンサスを得られる状況であるならば、そうなんでしょう。

これもまたナイーブなご意見ではないでしょうか。日本はアメリカ(だけではありませんが)と軍事同盟を結んでおりまして、日本が迎撃ミサイルを装備するということは、アメリカ(その他)が同盟国への攻撃を憂慮する必要がないということです(いや、まあ現実的にはSM-3にしてもPAC-3にしても迎撃成功率は高がしれてますけどね、本題はそこじゃない)。戦争は一対一でやるものではないです。ここいらの「戦争には相手国がある」とか「双方の同盟国はどう動くか」とか「第三国は紛争当事国をどう見るか」とか、そういう視点が抜けてるのもナイーブマッチョに見られる特徴じゃないですかね。

だいたい、「その先の攻撃可能性」とか言い出したら、何でもありになってしまいます。無限の言いがかりが可能になるような論調は、端から捨てていいでしょう。

捨てていいかどうかはさておき、「何でもありの言いがかりである」と考えるならそれはそれでいいんですよ。その「言いがかり」に対して批判すべきでした。わたしが言ってるのはそういうことです。そうはっきり言えばいい。けど、言ってませんね。それ以前に、相手がそのような主張をしていること自体、ご存じでなかったですよね?それとも、主張していることは知っていたけど、端から捨てていいことなのでわざわざ言及しなかった?先方が「先制攻撃をしかければ、当然にも反撃されるので、それを封じ込める体制を作ろうというもの」と主張していることを知りつつ、「ペトリオットPAC-3は純粋な防衛用の兵器」とおっしゃってた?それは反論になっていませんし、反論になってないので「端から捨てていい」という判断も間違いです。捨てられるほど、こちらは反論できてません。反論できてないので捨てる資格がありません。

防衛手段を一切放棄して、国民の生命財産に危害が加わるのを座視せよというのははっきり言って暴論です。

すこし本題からずれますけど、PAC-3は国民の生命財産を守るためのものではありません。そんなことは百もご承知でしょうに(笑)。各務原行動実行委員会も、これが国民を守るためではなく政府や基地を守るためのものと言っていますが、こちらが正解でしょう。だいたい、カバー範囲が20〜30kmしかないのに、どうやって国民を守るっつーの。国民を守らないのであればなくてもいいと言うのは、それほど暴論というほどでもないでしょう。これは撃破対象がミサイルであろうと衛星打ち上げロケットであろうと同じことです。

イラクで日本人が3人が人質になった事件がありましたが、国はなんとかして助けようとしました。

これは本題に関係ないですね。あまり関係のない話題を出すと本題に自信がなさそうに見えます。ついでながらその話題に乗りますと、閣僚や政府高官に「あれが本当に人質なのかね」「退避勧告を出していたのだから自己責任」などと言わせるような国が、かの国民らを「なんとかして助けようとした」とは、わたしは考えておりません。余談になりますので無視していただいて結構ですが。

兵器なんかなければいい、ちょっとでも攻撃に資するのならばあってはならないという方が、よほど潔癖症というか、ナイーブだと思います。

そう思うんなら、その点を指摘すればよかった、と申しております。けど、相手が「攻撃に資するからダメだ」と言ってることをご存じなかったわけでしょう? この期に及んでそれを言っても後出しじゃんけんにしか見えないと思いますよ。

純粋な攻撃兵器なんて核くらいしかないかと……。

これは違うんじゃないでしょうか。最初に作りはじめたドイツの意図は知りませんが、アメリカの核はドイツの核を防ぐためですし、ソヴィエトの核はアメリカの核を防ぐためですし、中国の核は米ソの核を防ぐためですし、インドの核は中国の核を防ぐためですし、パキスタンの核はインドの核を防ぐためですし、みんな防衛用の兵器として開発し、配備してるんですよ。少なくとも建前上は。なので、核兵器は、純粋に攻撃用と言えるものではないです。


まあ、そんなわけで、やっぱ全体的にナイーブさを感じますね。たとえて言えば、「広辞苑にそう書いてるから」を根拠に国語学者に喧嘩を売るようなナイーブさですね。言ってることは間違っちゃいないが的を外してる、あるいは相手の方が一枚上手、ってところでしょうか。

もしかしたら通じてないかも


と思ったので、念のため書いとく。


わたしが最初に言っているのは、

  1. 純粋な防衛用兵器があるなどと考えるのはナイーブだ
  2. そのようなナイーブさでは習志野基地行動実行委員会を笑えない

ということで、見れば分かるとおり論点2は論点1に全面依存してます。なので、久間さんとしては論点1に対して反駁すれば事足りるわけです。要するに「PAC-3が純粋な防衛用兵器である」ことを証明してみせればよいわけ。けれども、久間さんはすでに「間接的に攻撃に資する」ことを認めちゃったので、そこでゲームオーバーなのよね。というのは、間接的にせよ攻撃に資することは一切ない、と言いきることができず、「何でもありになってしまう」「無限の言いがかりが可能になってしまう」といって反証をあきらめてしまったことです。ここで負けた。なんでPAC-3の純粋性を最後まで主張しなかったのよ…。


ちなみに、習志野基地行動実行委員会が常軌を逸しているかどうか、気が狂っているかどうか、潔癖かどうか、ナイーブかどうか、まともな思考をしているかどうか、何でも反対してるかどうか、などといったことは、わたしの論点じゃないので個人的にはどうでもいいです。わたしの論点は前述のとおり。

また追記が加わったけど


なんか、やのあさっての方向に猛ダッシュしてる感じになってしまいました。

そりゃ、撃ってきたら迎撃しないと攻撃され放題ですからね、反撃じゃなくて単なる防衛なんだから、どうして文句言うのか全く理解できません。
日米で軍事同盟組んでる? それが理由になるとでも?
ただの自衛権ですよ、PAC-3集団的自衛権ですらない。今まさに落ちてこようとするものを叩き落すだけ。

わたしが言っているのは、くりかえしますが「純粋な防衛用兵器があるなどと考えるのはナイーブだ」ということです。まあ、ぶっちゃけそんだけの話。日本国の自衛権の行使が同盟国全体の攻撃可能性を促進するという指摘がそう突飛に感じられますか?いや、まあ感じるんならそれはそれでいいんですけどね、ならば「純粋な防衛」を証明したらいいよ、ってことです。ちなみに、わたしは「文句を言う」という文句がここで出てきたことが全く理解できないです。

基地や政府機関周辺の住民は死ねと?
政府機関の職員や自衛官は死んで当然と?
そこに住んでるのが悪いと?
迎撃すれば多少なりとも被害が減るのに、甘んじて受け入れろと?

だれも言ってないことに反発しても無意味です。わたしが言ってるのは、くりかえしますが「純粋な防衛用兵器があるなどと考えるのはナイーブだ」ということです。そのくだりは本題とは関係がないので本当は無視した方がよかったんですが、PAC-3が国民の生命財産を守るためのものだというデマ(予算案を通した国民は自分たちが守られると期待して通したんですよ)が書かれたからには無視はできまいと思って言及したら、案の定、利用されちゃいましたね、って感じです。

ですが、PAC-3がどういうものか理解していながら配備反対というのは、どこかイかれているといわれても文句言えないと思いますよ?

なぜ、そこで「配備反対」などという文字が出てくるのでしょう。わたしが言ってるのは、もう何回目だ、くりかえしますが「純粋な防衛用兵器があるなどと考えるのはナイーブだ」ということです。

ですが、政府機関が集中するところに飛んできたときの被害がどうなるか、ちょっと考えたらわかるでしょうに。東京に核が落ちたら? 大阪に通常弾頭でも落ちたら?

これも関係ないですね。東京や大阪に核が落ちたら、PAC-3の純粋性が証明されるってんなら話は別ですが、そりゃ無理ってもんでしょう。

たかだかPAC-3になんでこんな過剰反応しているのか、まったく意味不明。

そりゃ、わたしが言いたいです。


純粋な防衛用兵器などありはしないと指摘して、ふざけんな自衛隊は死ねというのか、東京や大阪に核が落とされたらどうなると思ってるんだ、という反応があることが理解できない。まったく。


ていうのは、うそ。


こういう過剰反応があるのはだいたい理由は分かっていて、おそらく久間さんはそこに実在しない敵のイメージを描いていて、自分の意見にけちを付ける人間をそのイメージの中に落とし込もうとしてる。なので、わたしが言ってないことまで言ったことになっている。自分の思いえがく想像上の敵がそう言っているからだ。おそらく習志野基地行動実行委員会なども、そのイメージに落とし込まれている。いや、批判したきゃ批判すりゃええですよ。ただし、それは現実の主張に対してなされるべき。


そろそろ本題に戻ろうよ、的な気分です。

すげー

ブクマ※にものすごい読解力を兼ね備えた方々が揃い踏みだわ。

「大体首都圏自体にどんだけの人間が住んでると思ってるんだ」とか「あんなちゃちなミサイルで攻撃出来る訳ねーだろ」とか、まさにこのエントリでそこは論点じゃないよってわざわざ断り入れてる箇所じゃんか。目ん玉だいじょーぶか(笑)。

*1:つ[naiveはナイーブって書いたのにSovietをソヴィエトって書いてて一貫性がない件について]