価格と品質は比例しない

ほとんどの人は、収入と支出の額がほぼ釣り合うようにバランスをとり一致していて、つまり買い手としての体験と売り手としての体験をだいたい同じくらい持っているはずだし、しかもいまは需要が少なく供給力が余剰している不況の時代であるにもかかわらず、価格と品質が比例しないという売り手にとっては当たり前すぎることを、なぜか同じ人物が買い手の側にまわった途端に忘れてしまい、高い買い物をすることをむしろ自慢げに語ったりするのがまるで解せない話だ。

セイコーが開発して70年代に一気に普及して世界にショックを巻き起こしたクオーツ式の腕時計は、それまでの機械式に比較して圧倒的な正確さと価格の安さを両立しているのだが、ロレックスなどの技術的に古い機械式をありがたがって買いにいく間抜けが後を絶たない。時刻を知るという基本性能以外の部分で消費者はなにかメリットを感じているのだと説明されるのだが、それが何なのかがきちんと論理的に語られることはない。

価格が品質に見合わないものを高く買うことはそれ自体、当人の悪趣味というだけのことで別に構わないのだが、問題は企業側の努力によって低価格化を実現したものをさえ、品質が悪いから安いのだと平然と言い、それを本気で信じているらしい様は合理性が微塵もなく非常に不快なことだ。供給側にしてみれば合理性を追求して品質を高めても利益にならないから技術が進展しない。供給側が付加価値などと言いはじめたら、その産業はすでに行きづまりゆるやかな衰退を迎えているのだ。日本の80年代以降というのは、そういうことではないのか。