チベットの拷問方法

さて、この世に生きる人間とはまこと奇々怪々なもので、なにがなんでも中国人を悪しざまに罵らねば気がすまぬという人種がいる。

かれらの言うには、中国人は残忍無比であり、さまざまな拷問を用いて、チベット族をひどく虐げているのだという。

もちろん、そうした事実もあるだろうが、かれらには中国人の非を強調したいがあまり、チベット族を暴力をしらぬ温和な民族性だと決めつけたがるところがある。

そんな馬鹿な話はないわけで、人間というものは、地球の裏側を見ても残忍な振るまいをするときは残忍に振るまうし、そうでないときはいつでも温和に暮らしているものだ。民族による違いというものは思うほどあるものではない。

河口慧海というひとは、はじめてチベットを訪問したことでしられる日本人で、かれの『旅行記』もよく読まれている。その『旅行記』のなかに、チベット族による拷問のありさまが記載されているので、目に付いたところを引用してみたい。

念のため断っておくが、ここでチベット族の暴力を取りあげるのには、中国人の非を相殺しようとの意図はない。チベット族は温厚平和な民族だから暴力を用いることをしらぬのだ、といった根拠のない決めつけに反証するために行うのである。しかし、なかにはこの『旅行記』に記された描写を引いて、中国人はこのようにチベット族を拷問しているのだ、などとうそぶくようなやからもいるから始末に負えない。

以下、青空文庫に収録された『旅行記』から拷問について記述される一節を引用する。

その拷問の仕方はどうであったかその当時の有様を見ることが出来なかったから知らんけれども、聞いただけでもぞっとする程の拷問である。
皮肉の拷問 その拷問の仕方は、まず割竹を指の肉と爪の間に刺し込んで爪を剥(はが)して、そうしてまた肉と皮との間へ割竹を刺すのです。それは十本の指とも順々にやられるので実に血の涙を流して居るけれども、ノルプー・チェリンは、これは自分の仕業(しわざ)[#ルビの「しわざ」は底本では「しわぎ」]であって決してテーモ・リンボチェ即ち自分の主人の命令でやった訳でないと強情(ごうじょう)を張ったそうです。ところがいやそうではあるまい、主人の吩付(いいつけ)でしたのであろうと非常に責めても肯(き)かなかったという。

(略)

一体
 チベットの拷問の方法 はごく残酷である。またその処刑もごく野蛮の遣り方である。獄屋というようなものも、なかなかこの世からのものとは思えない程の所で、まずその拷問法の一つ二つをいいますと、先に言った割竹で指の爪を剥すとか、あるいは石で拵えた帽子を頭に載せるという仕方もある。それはまず始めに一貫匁ぐらいの帽子を載せ、それからまたその上に同様の帽子を、だんだん五つ六つと載せていくので、始めは熱い涙が出て居る位ですが、仕舞には眼の球が外へ飛び出る程になってしまうそうです。そういう遣り方もある。それから叩くというたところで柳の太い生棒(なまぼう)で叩くのですから、仕舞にはお臀(しり)が破れて血が迸(ほとばし)って居る。
 それでも三百なり五百なり極めただけの数は叩かなければ罷(や)めない。もっとも三百も五百も叩く時分には、半ばでちょっと休んで水を飲ましてからまた叩くそうです。叩かれた者はとても病気せずには居らない。小便は血のような真っ赤なのが出る。私はそういう人に薬を遣った事があります。またそのお臀(しり)の傷などもよく見ましたが実に酷(むご)たらしいものであります。獄屋も余程楽な獄屋といったところが土塀に板の間の外には何にもない。かの寒い国でどこからも日の射さないような、昼でもほとんど真っ闇黒(くらがり)というような中に入れられて居るので衛生も糸瓜(へちま)もありゃあしない。
 また食物も一日に麦焦(むぎこが)しの粉を二握りずつ一遍に与えるだけです。それだけではとても活きて居ることが出来ない。そこで大抵獄中に入れば知己(しるべ)が差入物をするのが常例(あたりまえ)になって居る。その差入物でも牢番に半分以上取られてしまって、自分の喰うのはごく僅かになってしまうそうです。刑罰の一番優しいのが罰金、笞刑(ちけい)、それから
眼球を抉(く)り抜いて 取ってしまう刑、手首を切断する刑。それもじきに切断しない。この両方の手首を紐で括(くく)って、およそ半日程子供が寄って上げたり下げたりして引っ張って居るです。すると仕舞(しまい)には手が痺(しび)れ切って我が物か人の物か分らなくなってしまうそうです。その時に人の見て居る前で切断してしまうのである。これは多くは泥棒が受ける。五遍も六遍も牢の中に入って来るとその手首切断の刑に掛ってしまう。ラサ府の乞食にはそういう刑に処せられたのが沢山ある。
 最も多いのが眼の球を抉(く)り抜かれた乞食、それから耳剃(みみそり)の刑と鼻剃(はなそり)の刑、これらは姦夫(かんぷ)姦婦(かんぷ)がやられるので、良人(おっと)が見付けて訴えるとその男と女がそういう刑に遇うことがある。またチベットでは妙です。訴えを起さずにじきにその良人が怒ってその男と女の鼻を切り取っても、つまり政府に代って切り取ったのだからといって自分が罪を受けるということはない。流罪(るざい)にも二通りある。ある地方を限って牢の中に入れずに放任して置くところの流罪と、また牢の中に入れて置く流罪とがある。それから
死刑は水攻(みずぜめ) にして殺すんです。それにも二通りある。生きながら皮袋に入れて水の中に放り込んでしまうのもあり、また船に乗せ川の中流に連れて行って、そうしてそれを括(くく)って水に漬け石の重錘(おもり)を付けて沈めるのです。暫く沈めておいて十分も経つと上に挙げ、なお生きて居るとまた沈めて、それから十分ばかり経って上げて見るのですが、それで死んで居ればよいが生きて居るとまた沈める。そういう具合に何遍か上げたり沈めたりしてよくその死を見届けてから、首を切り手足を切り、五体放れ放れにして流してしまって、首だけこっちに取って来るのです。で三日あるいは七日晒し者にするもあり、あるいは晒さずにその首を瓶の中に入れて、そういう首ばかり集めてある堂の中に放り込んでしまうのもある。その堂というのは浮かばれない堂という意味で、そこへ首を入れられるともう一遍生れて来ることが出来ないという、チベット人の信仰からこういう残酷な事をするのです。

これらの刑罰はどうも仏教が行われて居る国に似合わぬ実に残酷な遣り方であります。もう殺してしまえばそれで罪が消えてしまうのであるから、そういう意味で罰しなければならんと思うのに、未来の観念まで制限するというのは実に刑罰の法則に背いて居るであろうと思う。実(まこと)に野蛮の遣り方である。こういう残酷な事はまだなかなか沢山ありますけれどもこの位にして置きます。

とくに目立ったところを引いてみたが、この前後にも「美しい貴婦人の晒し者」があったという記述もある。また、慧海の蔑視意識の現れであろうが、チベット族を人食いの子孫だといい、かれらが人肉を食したことなども記されている。

2011/10/23 追記

漫画編集者の竹熊健太郎さんの言葉。出所は分からない。

チベットの拷問で片手だけ自由にした罪人を地面に仰向けに括り付け、焼けた硫黄を胸に落とすというのがあったとか。払おうとするほど硫黄が皮膚に拡散して地獄の苦しみに。それを思い出しました。@radio_be: @kentaro666 この場合、薄まらないで拡散する濃度の屁と見立て申す。
https://twitter.com/#!/kentaro666/status/127912487675904001