馮異の年齢は

結局、この馮異って人、いくつなのか分かんないんですよね。光武帝は「恩愛は父子の如し」と言ってるので、少なくとも一回りくらいは上なんだろうなぁ(さすがに下ではなかろー)。そうすっと、光武帝29歳のとき馮異41歳以上。二人の年齢差は別に問題じゃないけど、光武帝と初めて出会ったとき最低でも41歳だとすると、郡掾(一説に功曹)にはちょっと年寄りすぎないかな、と。なんとなく。三十代で太守になっちゃう人もいるわけで。あまり家柄はよくなかったのかもしれない。でも五県の監理を任されるくらいだから能力は相当高かったんだろう。

馮異が「劉将軍に味方しよう」と言うと、父城県長の苗萌はあっさりと賛成してるわけだけど、これはそう綺麗な話じゃない。父城は馮異の故郷なので城内には馮異の一族が何十人もいるわけで、さらに付き合いのある友人だの弟子だのを含めれば何百人にもなったはず。おそらく、こういう連中が籠城戦の主力部隊を構成。一方、苗萌は県外から派遣されてきただけのよそ者なのでほとんど兵力を持ってない。だから地元民である馮異が右と言えば右へ、左と言えば左へ動くことしかできなかった。苗萌が心底、賛成していたかどうかは分かんないのですよ。