廖化

いやいや、それ以前に黄巾賊に加わったこともあるからといって184年の一斉蜂起に参加したとは限らないのですよ。『後漢書』では207年に黄巾賊が済南国を襲撃して済南王を殺害したとあるし、当の『演義』自体にも、すぐ前後に劉辟だの龔都だのといった黄巾賊の頭目の名が挙がっているのに、なぜそれらを無視して廖化だけを184年の乱に参加していたことにしたいのか、それがよく分からない。

さらに言うと、廖化が黄巾の残党だという記述も実は『演義』の中にはなかったりする。廖化が黄色い頭巾に錦の衣を着ていたから関羽が勝手に黄巾の残党だと思い込んだだけ。それに廖化のことを「少年」と呼んでいるくらいだから普通に受け取れば184年の蜂起に参加していたとは読めないはずなのですよ。むりやり165年以前の生まれということにしといて廖化は100歳!?って言いたいだけちゃうかと。