趙雲の年齢

三国演義』に引用する後世の詩に、建興六年(二二八)の諸葛亮の第一次北伐の際、趙雲が七十歳だったとあります(第九十二回)。そうすると趙雲延熹二年(一五九)生まれということになります。ところが延熹五年(一六二)生まれの関羽は「子龍はわが弟」と言っています(第七十三回)。おかしいです。さすがの関羽とはいえ年上の人物を弟呼ばわりするはずがありません(ここで初回の北伐を建興五年(二二七)と言ってるのは間違いです)。

物語の手法を尊重するなら関羽の発言を是とすべきでしょう。後世の詩の方は、趙雲の武勇を強調するため年齢を多めに見積もったと考えられます。七十歳というのは一字間違いで、建寧二年(一六九)生まれの六十歳ということにしておけば、物語とも史実とも矛盾がなく都合がよろしいと思いますですよ。

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