兗州刺史金尚。この人物の名は『三国志』に一切登場しない。
なぜなら、この人物の存在が明らかになれば、曹操が兗州牧を僭称して金尚を駆逐し、これを任命した献帝に弓引いた事実も明らかになるからだ。曹操が漢帝に弓引いた朝敵ならば、その子・曹丕が漢朝から受禅したとする魏朝の正統性は雲散霧消してしまう。だから金尚の名を記すことができないのだ。
冀州牧壺寿の名が記されない理由も同じ。
金尚の名は『三国志・呂布伝』の裴注に引く『英雄記』『典略』および『後漢書・呂布伝』、壺寿の名は『三国志・袁紹伝』の裴注に引く『英雄記』に見えている。(裴注は『三国志』じゃないよ。念のため。)