坂本龍馬

陸奥宗光坂本龍馬について「魯粛以上だ」と評している。陸奥はのちの外務大臣

【龍馬の遺伝子】
薩長二藩の間を駢合せしめ、土佐を以て之に加はり、三角同盟を作らんとしたるは、坂本の策略にして、彼は維新史中の魯粛よりも、更に多くの事を為さんとしたるもの也。彼の魯粛は情実、行がかり個人的思想を打破して、呉蜀の二帝を同盟せしめたるに止まる。坂本に至りては、一方に於て薩長土の間に蟠りたる恩怨を融解せしめて、幕府に対抗する一大勢力を起こさんとすると同時に、直ちに幕府の内閣につき、平和無事の間に政権を京都に奉還せしめ、幕府をして諸候を率いて朝廷に朝し、事実に於て太政大臣たらしめ、名に於て緒候を平等の臣属たらしめ、以て無血の革命を遂げんと企てぬ。

魯粛は新興豪族の出身だった。龍馬は商業を営む下級藩士だった。どちらも財力はあったが身分は高くなかった。魯粛は若いころ仲間を集めて魯家の馬鹿息子と呼ばれていた。龍馬は子供のころ臆病な鼻たれ小僧と呼ばれていた。魯粛は弓の名手であったが武人として身を立てることはなかった。龍馬は剣術の達人であったが刺客の身から足を洗った。魯粛は魏に対抗するため呉蜀を同盟させた。龍馬は倒幕のため薩長を同盟させた。二人には似ているところが多い。