ずっと雨だった

後漢書霊帝紀および五行志
中平六年(一八九)四月丙辰、霊帝劉宏が崩御、戊午、皇子劉弁が即位した。大将軍何進が政権を握って蹇碩が殺された。
六月、董皇后が崩御霊帝が文陵に埋葬される。このころから雨が降り始める。
七月庚寅、董皇后が慎陵に埋葬される。
八月戊辰、中常侍張譲らが大将軍何進を殺す。袁術らが宦官を殺し、何進の部曲将呉匡が車騎将軍何苗を殺す。張譲らは少帝を連れて小平津に逃走。尚書盧植張譲らを斬る。少帝は陳留王劉協とともに蛍の光を頼りに民家を訪ね、辛未、宮殿に帰る。幷州牧董卓が執金吾丁原を殺し、司空となる。
九月庚戌、董卓が帝を廃位して弘農王に下し、陳留王劉協を皇帝に立てる。
八十日余り続いた雨がようやく止む。

董皇后が埋葬されたとき、その日は雨だった。
何進が宦官に殺されたとき、その日は雨だった。
袁術らが宦官を殺したとき、その日は雨だった。
呉匡が何苗を殺したとき、その日は雨だった。
少帝と陳留王が小平津に逃れたとき、その日は雨だった。
少帝と陳留王が蛍の光を頼りに民家を訪ねたとき、その日は雨だった。
少帝と陳留王が宮殿に帰ったとき、その日は雨だった。
董卓丁原を殺したとき、その日は雨だった。
董卓が少帝を弘農王に下したとき、その日は雨だった。
陳留王が帝位に登ったとき、その日は雨だった。
ずっと雨だった。