三国志集解って2つあるのかな?

なぜかヒステリックな書き込みが続いてますが…それはさておき。

【三国志討論場】
30:赤龍
>>25
実は、孫堅が死んだのはいつか?ということは問題になっているのです。
孫堅伝本文では、初平三年。『英雄記』では初平四年五月七日(原文では五月。正月というのはちくま訳の誤植では?)。『後漢書孝献帝紀では初平三年正月。また、孫策伝の注には、『漢紀』『呉歴』では孫堅が初平2年に死んだとされると書かれてます。
どれが正しいんでしょうか?私も、もう少し考えてみます。
(PC)
5/4 22:29
(略)
38:赤龍
>>37
たしかに、中華書局の標点本を確認しますと「正月」になってました。ちくまの誤訳・誤植ではなさそうですね。
私が調べたのは『三国志集解』のほうです。これは版本の相違による問題になりそうですね。
「正」と「五」形が近く、書き写す際に間違える可能性はたかいですから。
(PC)
5/5 0:56

赤龍さんが触れている『英雄記』の件ですが、私の手元にあるちくま訳本では「正月」、中華書局の標点本でも「正月」、中華書局の『集解』でも「正月」になってます。盧弼もとくに注意書きしていないので版本の異同ということはないのでは?よく知らんけど。『集解』は中華書局からだけじゃなくて台湾の芸文印書館からも刊行されてるので、そっちで「五月」になってるのかも知れないな。要確認。中華書局版は装丁がヘナチョコなんで芸文印書館版に買い換えようと思ってたのに、中身が違うんなら困っちゃうよなぁ。

ちなみに、「四」は別の字体で「亖」とも書き、「二」が縦に並んだような形をしています。おそらく『英雄記』を書いた人か伝えた人かが、もともと「二年」か「三年」と書いていたものを間違って「亖年」と読み、それを「四年」と作ったのでしょうね。

追記

三国志集解』は上海の新華書店からも刊行されてるようです。底本はやっぱり分かりません。