『晋書』陶璜伝
陶璜は晋よりも呉にいたときの方が活躍が大きく、『晋書』でもその時代に紙筆を大きく割いている。でも、『晋書』は交州の一進一退の政情を描くために彼の列伝を借りているらしい。陶璜と敵対した晋将の行動を称える記述も多く、一見して、だれのための列伝なのか分からなくなっている。
交州の政情を説明しているのは次の通り。
- 交阯太守孫諝が呂興に殺され、呂興の死後、晋が次々に太守を派遣したこと。
- 陶璜の死後、吾彦や顧秘・顧参らが後任になったこと。
- 顧寿が部下を殺したことから、他の部下に殺されたこと。
晋将の行動を称えているのは次の通り。
- 毛荕が腹を切られても呉将を罵りつづけたこと。
- 楊稷が呉に捕らえられた屈辱から病死したこと。
- 孟幹が呉を脱出して洛陽に帰り、呉討伐の計略を進言したこと。
- 李松・爨能らが呉で死んだこと。
- 李祚が舅の降服勧告を断って戦いで決着を付けようと宣言したこと。
このように、『晋書』陶璜伝には陶璜自身とあまり関係のないことが盛り込まれている。