姜維は部将になりたくなかった

だとしたら、ちょっと意外ね、という話。

『太平御覧』所引『魏略』
(原文)姜維字伯約,郡欲表維以為將。維家本衣冠,不愿為將,郡因表拜觔中。
(訳文)姜維は字を伯約という。郡は上表して姜維を部将にしたかったが、姜維は「我が家は本来、衣冠を身に付ける家柄である」と言って部将になることを承知しなかった。郡はそこで上表して郎中に任命した。

たしかに姜維は魏にいたころ部将の任には就いてないんですね。それが、蜀に帰参したあと、あれだけの猛将に成長するのだから人生というものは分からない。『傅子』には「姜維の人となりは功名を立てるとを願い、密かに命知らずの勇士を世話し、民間の仕事をしなかった」とあり、てっきり若いころから部将を目指していたんだと思っていたのですが…。

さて、『太平御覧』には次のような記述も。

『太平御覧』所引『宋書
(原文)蜀關羽在江陵亦督軍・州,至張飛姜維亦為中外都督,如吴・魏也。
(訳文)蜀の関羽が江陵にあってやはり軍・州を督し、張飛姜維もまた中外都督となったこと、呉や魏と同様である。

張飛が都督中外諸軍事だったと言ってます。しかも司隷校尉張飛無敵じゃーん。

『通典』
(原文)姜維謂亮曰:“彼無戰心。所以固請者,亦惑於衆耳。將在軍,君命有所不受,苟能制吾,豈千里請戰耶!”宣王使二千餘人就軍營東西角大聲稱“萬歳”。亮使問之,答曰:“吴朝有使至,請降。”亮謂曰:“計吴朝必無降法,卿是六十老翁,何煩詭誑如此?”懿與亮相持百餘日,亮卒於軍中。及軍退,懿追焉。亮長史楊儀結陣反旗鳴鼓,若將向懿者,懿遽退,不履。
(訳文)姜維諸葛亮に告げた。「彼らは戦うつもりがございません。強硬に求めているのは兵士どもを騙すためです。将帥たる者、軍中にあるときは君命といえども引き受けない場合があるのです。我らを制御できるのであれば、わざわざ千里先まで戦闘許可を求めましょうか!」司馬宣王は二千人余りを軍営の東西の両端へ行かせ、大声で「万歳」と唱和させた。諸葛亮が使者を出して理由を訊ねると、「呉から使者が参って降服を願いでたのです」との答えであった。諸葛亮は言った。「思うに呉が降服する理由は絶対にありません。あなたは六十もの老人でありながら、どうしてそのような嘘偽りをもてあそぶのです?」司馬懿が百日余りものあいだ諸葛亮と対峙しているうちに、諸葛亮が軍中で亡くなった。軍が引き揚げてゆくので、司馬懿はそれを追撃した。諸葛亮の長史楊儀が陣を布いて旗をひるがえし、太鼓を鳴らしながら司馬懿に攻めかかるふりをすると、司馬懿は慌てて引き返し、進もうとしなかった。

諸葛亮本伝注に引く『漢晋春秋』では、姜維は「敵軍はもう出撃しないでしょう」と述べ、「彼らはもともと戦うつもりがない。強硬に求めているのは兵士どもに武勇を示すためだ。将帥たる者、軍中にあるときは君命といえども引き受けない場合があるのだ。我らを制御できるのであれば、わざわざ千里先まで戦闘許可を求めようか!」と喝破したのは諸葛亮だったことになっています。逆です。あと、諸葛亮が計略を見抜いて司馬懿に告げた言葉が格好いいかもです。