董卓・荀紣の邸宅

董卓の邸宅は洛陽の青陽門近くの永和里にあったとのこと。

『洛陽伽藍記』序
(原文)洛陽東面有三門:北頭第一門曰建春門,次南曰東陽門,次南青陽門。
(訳文)洛陽城の東面には三つの門があり、北から順に建春門、東陽門、青陽門といった。

『洛陽伽藍記』第一
(原文)修梵寺,在青陽門内御道北。寺北有永和里,漢太師董卓之宅也。(里南北皆有池,卓之所造,今猶有水,冬夏不竭。)
(訳文)修梵寺は青陽門を入った大通りの北側にある。寺の北側が永和里で、漢の太師董卓の邸宅であった。(永和里を南北からはさむ池は董卓が掘ったもので、現在もなお水をたたえ、夏でも冬でも枯れることはない。)

三国志集解』董卓伝に引く杭世駿説
(原文)元和郡県志,洛陽董卓宅,在永和里,掘地輒得金玉宝玩。後魏邢巒掘,得丹砂及銭,銘曰:董太師之物。
(訳文)『元和郡県志』にいう。洛陽の董卓の邸宅は永和里にあり、地面を掘るとすぐに黄金や宝石、玩具が見つかる。後魏の邢巒が掘ったところ、丹砂のほか、「董太師之物」と銘打たれた銭が見つかった。

荀紣の邸宅は洛陽の西陽門近くの永康里にあった。荀紣の邸宅は洛陽のほか許都にもあり、その隣が耿紀の邸宅だった。

『洛陽伽藍記』序
(原文)洛陽西面有四門:南頭第一門曰西明門,次北曰西陽門,次北曰閶闔門,次北曰承明門。
(訳文)洛陽城の西面には四つの門があり、南から順に西明門、西陽門、閶闔門、承明門といった。

『洛陽伽藍記』巻第一
(原文)西陽門内御道南有永康里,里内復有領軍将軍元乂宅。(掘故井得石銘,云是漢太尉荀紣宅。)
(訳文)西陽門を入った大通りの南側に永康里がある。そこに領軍将軍元乂の邸宅がある。古井戸を掘ると石の表札が見つかったが、それによるとここが漢の太尉荀紣の邸宅だったという。

三国志』杜畿伝注
(原文)傅子曰:畿自荊州還,後至許,見侍中耿紀,語終夜.尚書荀紣与紀比屋,夜聞畿言,異之。
(訳文)『傅子』に言う。杜畿は荊州から帰郷したのち、許に赴いて侍中耿紀に会い、夜を徹して語り合った。尚書荀紣と耿紀は屋舎を並べていたが、(荀紣は)夜中に杜畿の言葉を聞いて、彼を立派だと思った。