光武帝紀1 「劉秀あらわる」

袁宏の『後漢紀』を入手したので、自分自身の理解を深めるため、ついでに、光武帝とその時代をみんなに紹介するため、ここに抄訳してみたいと思います。原文にあまりこだわらず、読みやすく語順をかえたり、語句を補ったり省いたりして理解しやすくしました。《地図》



光武帝劉秀(りゅうしゅう)は字を文叔といい、南陽郡蔡陽の人である。前漢の景帝の子が長沙王劉発、その子が舂陵侯劉買、その子が鬱林太守劉外、その子が鉅鹿都尉劉回、その子が南頓令劉欽である。劉欽は湖陽の樊重の娘を妻とし、劉秀らを生んだ。

劉秀は鼻筋が通って高く、口は大きく、眉やあごひげが美しかった。そして額には太陽に似たふくらみがあった。身長は七尺三寸、施しを好んで人を愛し、家の野良仕事にいそしんだ。かつて長安に遊学して『尚書』を学んだことがあり、要点をほぼ理解していた。

兄の劉縯(りゅうえん)は字を伯升といい、憂国の志士であった。王莽(おうもう)が漢王朝を乗っとり劉氏を迫害していたので、劉縯はいつも漢王朝の復興を志し、家業に見向きもせず有力者たちとの交流に努めたので、有力者たちも彼に心服した。

新野に鄧晨(とうしん)、字を偉卿という、たいへんな富豪がいた。劉秀と仲がよく、劉秀の姉が鄧晨に嫁いでいた。劉秀と鄧晨が宛へ出かけたおりのこと、蔡少公という道士が「劉秀という名の人物が天子になるであろう」と語ったのを聞いて、だれかが「国師公の劉秀(劉歆=りゅうきん=)さまのことだ!」と言った。劉秀がとっさに「どうして僕のことじゃないって言いきれるのさ!」とおどけてみせた。みんなは大笑いしたが、鄧晨だけはそっと「王莽はきっと天罰にかかって滅びますよ」と劉秀に告げた。

宛に李通(りとう)、字を次元という人がいた。父の李守は王莽に仕えている。李守は身長八尺、人並みはずれた容貌の持ち主で、若いころから劉歆に師事して占星術を愛好し、つねづね「漢王朝が復活して李氏がその補佐役になる」と家族に言いきかせていた。李通は有能な役人だったが、王莽の失政を見ると父の言葉を思いだし、辞職して故郷に帰った。

李通の従弟李軼(りいつ)が「いまあちこちで兵隊どもが立ち上がっており、王氏が滅亡して劉氏が復活するでしょう。南陽郡の皇族では劉縯兄弟だけが民衆を大事にしており、彼らとともに大仕事を始めるべきですよ」と言うと、李通は深々とうなづき、李軼を劉秀のもとへ行かせた。

むかし兄の劉縯が李通の弟を殺したことがあり、劉秀は復讐を恐れて李軼に会いたくなかった。しかし李軼が何度も何度も訪ねてくるので、仕方なく座敷に上げると、李軼は李通の真意を伝え、弟のことを恨みに思ってはいないからと熱心に言った。こうして劉秀はしぶしぶながら李通に会いに行くことになった。

ちょうど李通は病気にかかり寝床に入っていたので、劉秀は李軼や李通の兄弟たちと話し合っていた。もともと劉秀は上辺の付き合いで済ますつもりで生返事をしていたのに、李兄弟たちが劉秀の訪問を大喜びし、口々に「国中で兵隊どもが立ち上がり、王氏はいまに滅亡しますよ」と言うので、劉秀もびっくりしてしまった。そこで李通の部屋へ見舞いに行くと、今度は李通も感激して劉秀をもてなし、父の占いの言葉を伝えた。劉秀は彼らのほんとうの気持ちを知り、やっと仲直りをして厚い友情を固めることになった。