公孫瓚が幽州を救った

『太平御覧』所引『英雄記』
幽州では年ごとに不作が続き、人々が互いに食らいあうほどだった。イナゴや日照りの災害があって初めて、人々はイネの収穫を理解した。棗や桑を食料にあてたが、一石が十万銭にものぼった。公孫伯圭が屯田を開設したことで、少しづつ自給できるようになっていった。

おなじ『英雄記』で、幽州牧劉虞がかつて博平の県令だったころ、仁政の対応によりイナゴも県境を越えなかったと伝えられていますが、このころにはその神通力も失われていたようです。