左丞祖その2

三国志』崔琰伝注引『九州春秋』
王子法・劉孔慈は口汚く才能に乏しかったが、信任されて腹心となり、左丞祖・劉義遜は清潔俊英の人であったが、座席を埋めるだけであった。彼らには民衆の人望があるから手放すわけにはいかぬというのである。左丞祖は孔融に「強国に身をゆだねなさい」と勧めたが、孔融は聞かなかったばかりか彼を殺害してしまい、劉義遜は見捨てて去っていった。

後漢書孔融
そのころ袁・曹氏が勢力を増大しつつあったが、孔融は協力しようとはしなかった。左丞祖は深謀遠慮の持ち主であると評判であり、孔融に味方を作るようにと勧めた。孔融袁紹曹操が最終的に漢室を乗っ取ろうとしていることを知っていたので、同調したくはなかった。だから腹を立てて、左丞祖を殺したのである。