曹彰

王子年の『拾遺記』に載せる曹彰の伝。

(原文)任城王彰,武帝之子也。少而剛毅,學陰陽緯候之術,誦《六經》、《洪范》之書數千言。武帝謀伐吳、蜀,問彰取便利行師之決。王善左右射,學擊劍,百步中髭發。時樂浪獻虎,文如錦斑,以鐵為檻,梟殷之徒,莫敢輕視。彰曳虎尾以繞臂,虎弭耳無聲。莫不服其神勇。時南越獻白象子在帝前,彰手頓其鼻,象伏不動。文帝鑄萬斤鍾,置崇華殿,欲徙之,力士百人不能動,彰乃負之而趨。四方聞其神勇,皆寢兵自固。帝曰:“以王之雄武,吞並巴蜀,如鴟銜腐鼠耳!”彰薨,如漢東平王葬禮。及喪出,空中聞數百人泣聲。送者皆言,昔亂軍相傷殺者,皆無棺槨,王之仁惠,收其朽骨,死者歡於地下,精靈知感,故人美王之紱。國史撰《任城王舊事》三卷,晉初藏於秘閣。

(訳文)任城王曹彰武帝の子である。若くして剛毅であり、予知術を学び、『六経』『洪範』といった書物、合わせて数千字を諳誦できた。武帝は呉・蜀の討伐を計画するにあたり、曹彰に訊ねて作戦上の是非を決定した。王は左右に向けて射ることが巧く、撃剣を学び、百歩先の髭を狙って当てることもできた。

あるとき、楽浪郡が錦のような模様の虎を献上してきた。鉄製の檻に入れておいたが、武勇の士でさえ正視することはできなかった。曹彰が虎の尾をつかんで腕に巻きつけると、虎は声も挙げずに耳を伏せた。その神がかった勇気に心服せぬ者はなかった。

またあるとき、南越が帝の御前に白い子象を献上してきた。曹彰がそいつの鼻をつかんで地面にねじ伏せると、象は伏せたまま身動きしなくなった。

文帝は一万斤もある盃を鋳造して崇華殿に置いていた。これを別の場所へ移そうとしたが、力士たちが百人がかりでも動かすことができない。すると曹彰がこれを背負って走っていった。外国ではその神がかりの武勇を知り、みな武器を捨てて自衛に務めたので、帝は言った。「王の雄々しき武勇をもってすれば、巴蜀を併呑するのは、ふくろうが腐れ鼠を捕まえるようなものじゃな!」

曹彰薨去したとき、漢の東平王の故事にならって葬礼を尽くした。遺体が送りだされたとき、天上から数百人ほどの泣き声が聞こえてきた。見送っていた者たちは、みな「むかし戦乱のさなかに殺された者は、みな埋葬されずじまいであったが、慈悲ぶかい王様が枯骨を集めて埋葬されたことがある。死者が黄泉の国で歓喜し、精霊が感応しているのであろう。それこそは人々が王様の仁徳を称えている理由である」と言いあった。

国の史官が『任城王旧事』三巻を編纂し、晋の時代の初め、秘閣に蔵書された。

象の逸話は、帝の御前なので、力づくで象を頓首(平伏)させたという意味。「梟殷之徒」というのがよく分からない。曹彰に武勇のエピソードがあるのは当然として、予知術を学んだというのは意外な感じがする。王子年が拾ってきた話はたいがいトンデモに属するので、この曹彰の記事に関してもそれなりの価値でしかない。ただ、書かれた内容が事実でないとしても、そのような人柄であったと当時の人々が信じて慕っていたということは事実と見てよいと思うよ。