歩皇后

『建康実録』から歩夫人伝の訳を。
二月、夫人の歩氏に皇后の位を追贈した。
皇后は諱を練師といい、臨淮淮陰の人である。母について廬江へ移住したが、廬江が桓王(孫策)に打ち破られたため、みなで(長江を)東へと渡った。夫人は美麗であったので帝(孫権)のご寵愛を受けることになり、魯斑・魯育という二人の娘を生んだ。生まれついての嫉妬知らずで、(他の宮女を)推薦することが多かったので、長く愛され、後庭のなかでも一番のご寵愛を受けた。帝は即位してから、なんどか皇后に立てようとしたが、公卿たちの気持ちは皇太子の母・徐氏のもとにあったので、帝はやむをえず十年以上も気持ちをまげていた。(歩夫人が)薨去してから、そのことを思いだし、この年になって追贈を行い、のちに蔣陵に合葬された。