正統の神性

【Something Orange】清少納言は「と抜き言葉」に怒っていた。

国語学者言語学者や文学者のあいだでは、言葉はつねに変化しつづけるもので、そもそも正しさを規定することはできないというのが定説だと思うんだけど、なぜか門外漢であるほど正しい日本語だとか美しい日本語というものを仮定してしまう。なにか「正しさ」「正統性」信仰のようなものがあるんじゃないかな。どこか一点、正しさの極地みたいなものがあって、そこから同心円状に裾野が広がって遠くへ行くほど正しくなくなっていく、というような。野嵜健秀さんも「正字正かな」なんて言ってるし。

たとえば「禮」と書くのが正しく「礼」は略体だと考えられてるけど、実は「礼」の方が歴史の古い字だったりする。同じく「龍」と「竜」では「竜」の方が古い。とすると、どっちが正統かと考えるのもばかばかしくなってくる。