轅門の故事

よく掲示板などで、紀霊が呂布の射の腕前に恐れをなして兵を引いた、みたいな解釈をしてる人をみるけど、これはひどい誤解で、あれは恐れをなしたんじゃなくて最初からそういう儀礼なんだよ、阿弥陀くじみたいなもんでさ。祭壇に生贄を捧げて祝詞をあげ、誓いに背くものは神罰を受けるであろう、みたいなこと言いながらお神酒をすすり、それからおもむろに弓をとり天意を占うため神事を行うわけ。それでみごと轅門の戟を射あてたのは呂布の腕前もさることながら、それは同時に天の意思が示されたということでもあって、天地の神々と儀式を取りしきった呂布に心よりの感謝をささげ、双方の争いの当事者が引きさがる。そこまでが一連の儀式の手続きとして最初から決まっていて、もしあれで紀霊が納得ゆかぬとか言って劉備を攻めるようなことがあれば、それは天啓をないがしろにし祭礼の主人の面子に泥をぬる行為であり、それこそとんでもない愚将として歴史に汚名を残すことになるんであって、あれは知性と教養を深くそなえた紀霊が常識をふまえて神託にしたがったまでのことで、決して臆病風に吹かれて逃げたわけじゃないよ。もちろんそのことは呂布の武名をちっとも損ねるものではないし、むしろ天意の代弁者、神武の体現者たることを許された聖将として、神に祝福され、天の恩寵をこうむる英雄として激越に称えるエピソードなんだよ。

と空想してみた。