南陽郡の人口を誤る

三国志袁術
(原文)南陽戸口數百萬,而術奢淫肆欲,徵斂無度,百姓苦之。
(訳文)南陽の戸数と人口は数百万もあったが、袁術が贅沢勝手な暮らしぶりをして際限なく搾取したので、百姓たちはそのために苦しい思いをした。

後漢書』郡国志
(原文)南陽郡三十七城,戸五十二萬八千五百五十一,口二百四十三萬九千六百一十八.
(訳文)南陽郡は37の城があり、戸数は52万8551、人口は243万9618であった。

古代中国で「数百万」といえば2〜3百万を言うが、黄巾の乱をへて各地の戸籍人口がのきなみ激減しているなか、南陽だけに数百万もの人々が亡命もせず残っているはずがない。『後漢書袁術伝では数値が異なっている。

後漢書袁術
(原文)初,術在南陽,戶口尚數十百萬,而不修法度,以鈔掠為資,奢恣無猒,百姓患之.
(訳文)はじめ袁術南陽に来たとき、人口はまだ数十万から100万人はあった。しかし風紀の取り締まりをせず、略奪でもって資金に充て、飽きることなく贅沢な暮らしぶりをしたため、百姓たちはそれをうるさく思った。

もともと『三国志』でも「數十百萬」と書いてたのを、どこかの段階で写し間違えて「數百萬」になってしまったのだろう。